メッサーシュミット ウィリー・メッサーシュミット設計士が1923年バンベルクでメッサーシュミット航空機製造工場を設立したのが始まり。その後、バイエルン航空(BWF)に吸収合併される時期を経て、1938年株式会社メーサーシュミットとして独立。 BWF時代に設計・開発した機体はBf。独立後の機体はMeと表された。 著名な機体だけでも、Bf109、Bf110、Me163、Me262、Me323、Me410などが挙げられ、中でも第二次世界大戦全期間で主力戦闘機の地位を保ったBf109(主任設計者はロベルト・ルッサー技師)は総生産数約30500機を誇った。 メッサーシュットが設計しドイツ空軍に採用された機体は多数の種類に及ぶが、機体の優秀さもさることながら、メッサーシュミット自信がドイツ空軍幹部ルドルフ・ヘスと親交が深く、熱狂的なナチス党に転身した営業力も多分に影響した成果である。 戦後は航空機の製造が禁止され、製造する製品を変更しなければならず、小型自動車やそのエンジンを生産。1968年にブローム・アント・フォスの航空機部門を吸収し、メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム社へと改められ、ユーロコプター、エアバス旅客機、トーネード等の機体設計に加わる事になる。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Bf108 タイフン(レース機) ・Bf109(戦闘機) ・Bf110 (双発戦闘機) ・Me163 コメート(ロケット戦闘機) ・Me208 (高速輸送機) ・Me209 (速度記録機) ・Me210 (双発戦闘機) ・Me261 (偵察機) ・Me262 シュワルベ(ジェット戦闘機) ・Me209 (偵察機) ・Me321 (輸送グライダー) ・Me323 ギガント(六発巨大輸送機) ・Me410 ホルニッセ(双発戦闘機) ・P.1101 (試作ジェト戦闘機) |
フォッケウルフ ドイツのブレーメンの航空機製造会社。同社はベルリンのアルバトロス社と1931年に合併し、アルバトロス社の有能な技術者でかつテストパイロットのクルト・タンクを技術部門の長にし、Fw44を開発し、これが最初の商業的な成功作となった。 第二次世界大戦中は、ドイツ空軍により、メッサーシュミットBf109を補佐する戦闘機開発要求にクルト・タンク技師が参加し、名機Fw190Aが誕生する。この機体は、空戦性能のみならず、パイロットには操縦しやすく、最前線でも容易に修理が可能、さらに大量生産しやすい構造という、まさに理想的な戦闘機であった。 戦後、クルト・タンクはアルゼンチンに移住。会社としては合同航空技術工場にて再建され民間旅客機開発にあたる事になる。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Fw189 (双発偵察機) ・Fw190A (戦闘機) ・Fw200 コンドル(四発輸送・爆撃機) ・Fw190D ドーラ(戦闘機) ・Ta152 (戦闘機) ・Ta183 フォッケバイン(試作ジェット戦闘機) |
ハインケル |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・He51 (複葉戦闘機) ・He60 (複葉水上機) ・He110 (試作戦闘機) ・He111 (双発中爆撃機) ・He112 (試作戦闘機) ・He119 (軽爆撃機) ・He129 ウーフー(双発夜間戦闘機) ・He177 グライフ(双発重爆撃機) ・He178 (実験ジェット戦闘機) ・He280 (試作ジェット戦闘機) |
ユンカース |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Ju52(三発輸送機) ・Ju87 スツーカー(急降下爆撃機) ・Ju88 (双発中爆撃機) ・Ju188(双発中爆撃機) ・Ju388(双発中爆撃機) ・Ju390(四発中爆撃機) ・Ju488(四発中爆撃機) |
ドルニエ ルフトハンザの民間機開発を経てスペインやイタリアの民間機体を製造するのみの航空機メーカーであったが、ナチス党が政権を握ってヴェルサイユ条約を破棄するにいたり、ドルニエは国内設計・生産を再開。 民間輸送機を爆撃機に改造したDo17、その発展型Do217、Do317が著名な機体。終戦直後には双発串刺しエンジンの戦闘機Do335を開発した。 戦後、ドイツの航空機生産は再び禁じられてしまったが、ドルニエは1954年に禁が解かれるまでスペインやスイスに拠点を移し、航空コンサルティングサービスなどを提供することで苦境をしのぎ、1974年にはフランスのダッソーブルケー社とともに、アルファジェット攻撃機の開発も行なった。1996年にはドルニエの大部分はフェアチャイルド社に取得され、フェアチャイルド・ドルニエ社となったが、2002年には経営が破綻。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Do17(双発中爆撃機) ・Do217(双発中爆撃機) ・Do317(双発中爆撃機) ・Do335 プファイル(双発中爆撃機) |
アラド 航空機メーカーとしての業績は1924年に主任設計者として迎えられたヴァルター・レーテル博士に負うところが大きく、1933年になると再軍備宣言に向けて空軍の再建を図る政権与党 ナチ党によって設計開発だけでなく、Bf109やFw190のライセンス生産も行なわれた。 ジェット開発に意欲的に行ない、Ar234ジェット爆撃機は少数ながら実線投入され、橋脚破壊の任務に就いた。 1945年のドイツ降伏にともなって倒産し、解体された |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Ar65(複葉練習・戦闘機) ・Ar68(複葉練習・戦闘機) ・Ar196(水上機) ・Ar232(四発輸送機) ・Ar234(ジェット爆撃機) |
ヘンシェル 航空機メーカーというより、タイガーT型など戦車で有名な車両企業。1930年代初めから同社は航空機製造に乗り出そうと試みたが、他社老舗メーカーに参入を阻まれ失敗。後にエアハルト・ミルヒの推薦を受けてヘンシェル航空機製作所を設立。初めて量産採用されたのはHs123という複葉急降下爆撃機。続けてその機体をHs126を経て、ドイツ空軍主力襲撃機とされるHs129を開発。 戦後、いったんはヘリコプター設計を手がけるが、1970年に閉鎖。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Hs123(複葉急降下爆撃機) ・Hs126(偵察機) ・Hs126(双発襲撃機) |
ブロームウントフォス 同社は1930年頃から1945年まではドイツ空軍向け航空機を設計製造している。代表的な機体は、左右非対称の偵察機Bv141などが挙げられる。 本来同社は、125年間、船やその他の大きな機械を造り続けた会社であり戦艦ビスマルクや重巡洋艦アドミラルヒッパーも建造している。第二次世界大戦の終わりにはほとんど完全に破壊されていたにもかかわらず、現在なお、ドイツ海軍向けや輸出向けに軍艦を、また多くの民間顧客のために石油採掘装置や船を建造している。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Bv138(三発水上機) ・ha139(双発水上機) ・Bv141(偵察機) ・Bv222 ヴィーキング(六発飛行艇) |
ゴーダ 創立当初は鉄道車両を中心に生産していたが、1913年に実用複葉機を開発。第一次世界大戦では、ロンドン空襲に参加したゴーダGIという大型複葉機爆撃機も設計した。 第二次世界大戦直前に航空機製造部門を再開し、He45、Bf109などのライセンス生産を手がけ、自社設計のGo242グライダーも採用された。 終戦間際に、ホルテン博士の設計した全尾翼ジェット戦闘機Go229製造も手がけたが実線配備には間に合わなかった。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・Go242(グライダー) ・Go244(双発輸送機) ・Go229(ジェット戦闘機) |