フランス航空メーカー
 フランス航空メーカーは、第一次世界大戦前/中には数々の名機を生み出した航空機先進国であった。しかしフランス本国はマジノラインの国防力を過信し軍用機の有用性を活かせず第二次世界大戦では早々にドイツ軍侵攻によって降伏し、航空機も活躍したのがありません。このドイツ占領によってフランス航空機は地に落ちてしまうことになる。戦後早々に、各社とも合併・合同を繰り返す事になるが、米ソ冷戦時代に両陣営どちらも市場として売り込める事により、ミラージシリーズを確立したダッソー社が発展した。

ブロッシュ(ブロック)社
 世界有数の航空機設計者として名を売ることになるマルセル・ブロックが設立し、MB152やMB200シリーズなど駄作機として有名な機体を開発するがドイツのフランス占領後、ドイツ軍に非協力的だったために収容所に送られてしまう事になる。
 戦後は姓名をマルセル・ダッソーに改名。会社はSAAMB社を経てダッソー・アビシニオン社を設立し、フランスのジェット戦闘機の代名詞、ミラージュシリーズを生み出す事になる。
≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・MB150(単葉戦闘機)
    ・MB151(単葉戦闘機)
    ・MB152(単葉戦闘機)
    ・MB200(双発爆撃機)
    ・MB210(双発爆撃機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・ミステール(ジェット戦闘機)
    ・ミラージュV(ジェット戦闘機)
    ・ミラージュW(ジェット爆撃機)
    ・ミラージュF1(ジェット戦闘機)
    ・ミラージュX(ジェット戦闘機)
    ・ラファール(ジェット戦闘機)

 
 

モラーヌ・ソルニエ(モランソルニエ)社
 レイモンド・ソルニエと、モラーヌ兄弟によって設立されたフランスの航空機メーカーで第一次世界大戦時に設立され、第二次世界大戦が始まったときフランス空軍の主力戦闘機MS406を生産していたが、戦後の1960年にポテに買収された。
代表的なMS406は、フランス空軍の主力戦闘機だったが、その時点では設計が古くなっており、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109に敵わず制空権を早々に奪われた機体であった。
 第二次世界大戦が終わると、同社はいくつかの練習機と民間航空機モデルの生産に戻り、曲技飛行も可能なSTOL機として成功した「ラリー」シリーズも生産した。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・MS.230(パラソル翼練習機)
    ・MS.406(単葉戦闘機)


ドボワチン(ドボワチヌ)社
 設計者エミール・ドボアチンが設立。D520という操縦性が優れた戦闘機を製作し、主力戦闘機MS.406の後継機として活躍が期待されたが、部隊配備が遅れ戦局を変える程の活躍は出来なかった。
 ドイツ占領下のビシー政権でも生産が続けられドイツ軍やイタリア軍で訓練用に使用されている。戦後、同社はロマノ社、リオレ・エ・オリビエ社を経てSNCASE社となる
≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・D520(単葉戦闘機)

ポテ(ポテーズ)社
 マルセル・ブロッシュと協力してアンリ・ポテが設立し、第二次世界大戦時ではフランス空軍の主力爆撃機ポテ631、偵察機ポテ637などを開発した。しかしポテ63シリーズの性能では当時のドイツ空軍に敵うはずが無く早々に大被害を受けてしまう。
 戦後、モラーヌ・ソルニエ社、フーガ社を買収するが、のちにSEREB社と合併し、アエロス・パシアル社となる。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Potez631(双発爆撃機)
    ・Potez637(双発偵察機)

ロアール・ニューポール社
 第一次大戦前からレーサー機で有名になったニューポール社が前身で、第一次大戦時では「ニューポール一葉半戦闘機のシリーズ」を続々売り込み、第二次世界大戦時にはロアール・ニューポール社と改名して、急降下爆撃機LN411を製作。この機体はドイツ軍侵攻が始まるとドイツ機甲部隊の阻止任務に出撃したが、未帰還率が100%という大損害を受けて有名。
 同社は、1936年にSNCAOに合同された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・N411(単葉爆撃機)

アルスナル社
 フランスの軍需産業の国営化に伴なって設立された国営航空工廠。世界大戦勃発による資源不足を予測して木製軽戦闘機製VG30を再設。MS406の後継機をめざしてVG.33を開発したが、母国が早々にドイツに降伏。結局はドイツ傀儡政権のヴェシー政権で少数が使用されるに至った。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・VG33(単葉戦闘機)