イタリア航空メーカー
 イタリア航空機メーカーは、第一次世界大戦時には華々しい機体を設計するが、その後の設計発展を水上機にゆだねてしまう。戦闘軍用機としては第二次世界大戦中盤まで、どうしても連合国に技術も意識も遅れが目立ち、技術的にはエンジン部門がドイツのダイムラー・ベンツにおんぶに抱っこ状態であり、また、コクピットの密閉式は中々パイロットに受け入られなかったジレンマを持っていた。
 そんなイタリア航空機業界も、第二次世界大戦終盤にはドイツの技術的支援を受け水準の高い機体を設計するが、地中海の制海権を奪われたイタリアは早々に連合軍に降伏となってしまう。

フィアット社
 現在は自動車産業が有名であるが、第一次世界大戦後、ポミリオやアンサルドといった小規模な航空機メーカーを吸収し1930年代にはCR.32やCR.42といった有名な複葉戦闘機を世に送り出し、第二次世界大戦では、ダイムラー・ベンツ製のエンジンを搭載した戦闘機G.55、優れたデザインの爆撃機 BR.20などをイタリア空軍に提供した。
 1950年代、NATO加盟国で共通の軽戦闘爆撃機を装備する計画が持ち上がり、フィアット社 G.91が設計された。その後、航空機開発部門はアエリタリアを設立するためにアエルフェールと合併し、アエリタリア G.91が誕生。
≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・CR.32(複葉戦闘機)
    ・CR.42 ファルコ(複葉戦闘機)
    ・CR.55 チェンタウロ(戦闘機)
    ・BR.20 チコーニャ(双発爆撃機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・アエリタリア G.91(ジェット戦闘機)
 

マッキ社
 第一次世界大戦時から航空機を設計し、一時は水上機の設計を専門化していたが、1936年のイタリア空軍増強計画の仕様に基づいて開発した戦闘機がMC.200。設立当初より水上機のスピードレースであるシュナイダートロフィーレースに意欲的に参戦し続け、英国のスーパーマリン社と覇権を争ったメーカーでもある。
 第二次世界大戦時には、Mc200、Mc202とあまりパッとしない戦闘機を開発し、他にもっと良い戦闘機が無いというイタリア空軍内情から量産を得る事になり、終戦末期に名機Mc205を開発

 戦後、数機のジェット開発機を経て、アエルマッキ MB-339を開発。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Mc.200 サエッタ(戦闘機)
    ・Mc.202 ファルゴーレ(戦闘機)
    ・Mc.205 ベルトロ(戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・アエルマッキ MB-339(ジェット練習機)


サヴォイア・マルケッティ社
 1915年設立。レース用に開発された旅客機を爆撃機として改良した三発爆撃機SM.79に改良。スペイン内戦に参戦し当時は高速爆撃機として活躍。第二次世界大戦時には非力な性能を露出してしまったが、イタリア国内に後継機は無く、マッキ社等でもライセンス生産された。
 代表機を見てもわかるとおり、三発エンジンが得意。
≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・SM.79 スパルビエロ(三発中爆撃機)
    ・SM.81 ピピストレッロ(三発重爆撃機)
    ・SM.82 ガングーロ(三発輸送機)


レジアーネ社
 カプローニ社の子会社として発足したレジアーネ社は1936年に単座戦闘機の開発を開始し、全金属製低翼で他社の設計では見れないややずんぐりとした流線型の機体で密閉型のキャノピーをもったRe.2000を開発し、海軍の艦載機として少数発注された。後に、ダイムラー・ベンツ製水冷エンジンに換装した戦闘型Re2001、戦闘爆撃型Re2002を設計し数を揃えたいイタリア空軍でも採用されるに至り、本格的な戦闘爆撃機Re2005とつながったが、イタリア降伏が直ぐに訪れドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)に接収された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Re.2000 フォルコ(艦上戦闘機)
    ・Re.2001 アリエテ(戦闘機)
    ・Re.2002 アリエテU(戦闘爆撃機)
    ・Re.2005 サジタリオ(戦闘爆撃機)

ピアッジオ社
 1984年設立という歴史を持つ航空機メーカーであった。第二次世界大戦直前に、アメリカで設計を学んだ技術者によってイタリア版B-17と目されるP.108を設計。大量生産を図ったが、工場の生産力が及ばず製造の遅れによる部隊配備の遅延と乗員の訓練に時間がかかったことからイタリア降伏までに20機超が生産されたがだけに留まり、戦果は残せなかった。
 戦後、ピアッジョオ・エアロ社としてジェット旅客機を手がけた。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・P.108(四発中爆撃機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・P.180 アヴァンティ(ジェット旅客機)
 

ブレタ社
 第一次世界大戦からイタリア軍の大砲や航空機用の機関銃や歩兵用機関銃などを生産している大手兵器製造メーカー。正式名はブレーダ・メッカニカ・ブレシャーナというらしい。陸軍用機関銃であるブレダM30軽機関銃やブレダM37重機関銃などが超有名で、第二次世界大戦時には航空機開発メーカーとしてもイタリア空軍から期待をかけられていたが、ブレタの機体は「試作段階ではものすごく優秀であるが、本格的に武装搭載するとダメ機となってしまう」のが特徴。Ba.201なんてその代表機。どうも設計段階で武装時の重量計算と空力処理がいい加減なんだろうなぁ。
 結局第二次世界大戦時にまともに量産されていた軍用機は、1935年に部隊配備されたBa.64だけ(でも1940年の開戦後には連絡機など雑用だけに使用された)。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Ba.64 (単発偵察戦闘機)
    ・Ba.88 リンチェ(双発戦闘機)
    ・Ba.201 (試作単発急降下爆撃機)
 

カプロニ社
 1911年にイタリアで初めて実用航空機(双発複葉機カプロニ Ca.1)を製造したメーカー。第一次世界大戦が勃発すると、アメリカやイギリス、フランス等の連合国の需要に応え、爆撃機や輸送機の生産で躍進。ソチェタ・イタリアーナ・カプロニと社名を名乗りイタリア有数の企業となり、レッジアーネ社など小航空機メーカーもその傘下に加えた。
 しかし、第二次世界大戦時には、すでに時代遅れの設計(Ca.310シリーズ)や無計画な設計(Ca.313)が目立つようになり衰退。戦後、急激にジェット化する航空機業界から販路を失い、オートバイ開発・製造を経て1983年にアグスタ社に吸収された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Ca.310 リベッチオ(双発爆撃機)
    ・Ca.313(双発輸送機)
    ・Ca.331 ラフィカ(双発偵察爆撃機)