フォッカー社 [オランダ] インドネシア生まれのオランダ人アントニー・フォッカーが1910年にドイツのベルリンに設立。第一次世界大戦時には、リヒトフォーフェンの愛機とて知られるロッカーDr.I、連合軍が恐れたフォッカー D.VII等のドイツ戦闘機を設計・生産。 しかし、ドイツの敗戦後、航空全面禁止となって航空機製造が困難になると、アントニー・フォッカーは密かに数機のD.VII 機をドイツから母国オランダへ送付して亡命に成功。そこで新たに航空工場を立ち上げることに成功し1919年にオランダに新しいフォッカー社を設立。中でもD21は、世界規模の市場で好評を得て、フィンランドなどの航空後進国の貴重な戦闘機として活躍した。 第二次世界大戦勃発によって、早々にオランダがドイツ占領下になり一時的に生産及び開発の停止を余儀なくされるが、1945年の終戦後、フォッカー社は活動を再開し、旅客機F27フレンドシップなどを開発・生産するが1996年倒産。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・B.I(複葉飛行艇) ・D21(単葉戦闘機) ・D23(双発タンデム戦闘機) ・G.T(双発爆撃機) ≪主要な機種/第二次大戦後≫ ・F27フレンドシップ(ジェット旅客機) ・F28フェローシップ(ジェット旅客機) |
PZL(ポーランド国立航空廠)社 [ポーランド] |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・PZL11(パラソル翼戦闘機) ・PZL23(単葉爆撃機) ≪主要な機種/第二次大戦後≫ ・PZL130オルリク(単葉練習機) ・PZL104ヴィルガ(高翼多用途機) |
I.A.R社 [ルーマニア] IARとはインダストリア・エアロネィテカ・ローマーナの略。第二次世界大戦ルーマニア政府の自国製航空機産業の創設に応えた形で設立された半民営化航空機メーカー。当時、ライセンス生産を行っていたポーランド製PZL-11戦闘機の後継機として、国内開発・生産したIAR80戦闘機シリーズなとを生み出した。このI.A.R.80/81は枢軸国空軍の一翼を担い、ウクライナ上空で戦闘・戦闘爆撃機としてソ連軍と戦い、次いで戦況の悪化に伴い自国上空の防空任務に付き連合軍と戦い(プロエスティ油田上空の戦闘が有名)、 1944年の休戦後はドイツ軍との義務的な戦闘も行っている。 また、戦後生き残った機体は副座練習機に改造され、最後の機体は1952年まで使用されている。 |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・I.A.R80(単葉戦闘機) ・I.A.R81(単葉戦闘機) |
SAAB(サーブ)社 [スウェーデン] |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・J21A(双発戦闘爆撃機) ≪主要な機種/第二次大戦後≫ ・35ドラケン(ジェット戦闘機) ・37ビゲン(ジェット戦闘機) ・39グリペン(ジェット戦闘機) |
FFVS社 [スウェーデン] |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・J22(単葉戦闘機) |
LV社 [フィンランド] |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・ミルスキー(単葉戦闘機) ・ピョレミルスキー(単葉戦闘機) |
CAC(コモンウェルス)社 [オーストラリア] |
≪主要な機種/第二次大戦時≫ ・CA-13(単葉戦闘爆撃機) |