イギリス航空メーカー
 世界で最初に空軍が設立され、伝統ある海軍においても最大数の空母を保有する英国は、第二次世界大戦時前後にかけて数々の航空機メーカーが多種多様な秀作機、または駄作機を世に生んだ歴史を持つ。(駄作機が多いのは、軍の航空機開発要求が変なのが多いからです。)
 そんな英国航空機メーカは、戦後、どんどん老舗メーカーが統合されていき、ブリティッシュ・エアロスペース(BAe)とブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(BAE)が共同化し、欧州最大かつ世界有数の防衛航空宇宙企業としてBAEシステムとして統合されて現在に至る。

ホーカー・エアクラフト社(ホーカー・シドレー・エアクフト社)
 1920にハリー・ホーカーとトーマス・ソッピーズがホーカー・エンジニアリング社を設立したのが始まりで、しばらくしてホーカー・エアクラフト社を改名していた。1933年に良好な経営状態と大恐慌を利用してグロスター社の買収、その翌年にはアームストロング・シドレーとアブロを傘下に収め、アームストロング・ホイットワース社をも吸収合併し、社名はその吸収合併の中、ホーカー・シドレー・エアクラフト社と改名していく。
 戦前の1930年頃には複葉小型機のハートシリーズを生み出し、第二次世界大戦時にはフューリー、ハリケーン、タイフーンを製造し、戦後にはシーフューリ、ハンター、ハリヤーを開発。常に英国の空を守備した戦闘機を排出してたメーカーである。戦後のホーカー・ハンター迄の設計は高名な設計士であるシドニーカムが設計の指揮を取っていた。
 1950年代後半には、デ・ハビラント社とブラックバーン社を獲得し、一大企業グループを形成。1977年に英国政府によって国営化されたブリティッシュ・エアロスペース(BAe)の母体となり1999年にBAEシステムズとなって現在に至っている。
≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ホーカー・フュリー(複葉戦闘機)
    ・ホーカー・ハリケーン(戦闘機)
    ・ホーカー・シーハリケーン(艦上戦闘機)
    ・ホーカー・タイフーン(戦闘機)
    ・ホーカー・テンペスト(戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・ホーカー・シーフュリー(艦上戦闘機)
    ・ホーカー・ハンター(ジェット戦闘機)
    ・ホーカー・シーホーク(ジェット艦上戦闘機)
    ・ホーカー・シドレー・ハリアー(ジェット艦上戦闘機)
    ・ホーカー・シドレー・ホーク(ジェット練習機)


 

スーパーマリン社
 1916年に設立。設立当初より水上機のスピードレースであるシュナイダートロフィーレースに意欲的に参戦し続け、1922年にシーライオンUで初めての優勝を飾ざったのち、1927年のS.5、1929年のS.6、1931年のS6.Bと3年連続で優勝し、英国にトロフィーの永久保持権利をもたらした。
 第二次世界大戦時には、レジナルド・ミッチェル設計士がかの傑作機スピットファイアを開発。スピットファイアはスーパーマリン社の陸上機と最初の設計ながら、ホーカー・ハリケーンから遅れる事わずか数ヶ月後に完成、全金属の卓越した現状の高性能を持ちながら以後のバージョンアップに見られるように高い汎用性を併せ持って朝鮮戦争に至るまでイギリス空軍機主力の座に君臨した名機であった

 戦後、数機のジェット戦闘機を開発するも、ヴィッカーズ社に吸収合併されスーパーマリンの名は途絶えた。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・スーパーマリン・シーライオン(レーシング水上機)
    ・スーパーマリン・ウォーラス(水陸両用飛行艇)
    ・スーパーマリン・スピットファイア(戦闘機)
    ・スーパーマリン・シーファイア(艦上戦闘機)
    ・スーパーマリン・スパイトフル(戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・スーパーマリン・アタッカー(ジェット艦上戦闘機)
    ・スーパーマリン・スイフト(ジェット偵察機)
    ・スーパーマリン・アタッカー(ジェット艦上戦闘機)
    ・スーパーマリン・シミター(ジェット艦上戦闘機)


アブロ社
 世界初となる航空機の会社として1910年に設立。第一次世界大戦では敵味方双方に使われる航空機となったほどの名機、木製複葉機のアブロ504を開発。第二次世界大戦中に製造された機体としてはアブロ マンチェスター、アブロ ランカスター、及びアブロ リンカーンと、大型爆撃機メーカーとして有名である。なかでもランカスターは7000機以上が製造され、英国3大救世主機体の一種(他はスピットファイアとモスキート)に称えられた機体であった。
 戦後には、フォークランド戦に長距離爆撃に出撃したバルカンを開発。アブロ社の開発機体はジェット化においても一環して大型機であったのが特徴。その後、ホーカーシドレー社に吸収され、国営化ブリティッシュ・エアロスペース(BAe)へと至る事になる。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・アブロ・マンチェスター(双発中爆撃機)
    ・アブロ・ランカスター(四発重爆撃機)
    ・アブロ・ヨーク(四発輸送機)
    ・アブロ・リンカーン(四発重爆撃機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・アブロ・バルカン(ジェット重爆撃機)


グロスター社
 1917年にグロスターシャー・エアクラフトとして設立。英空軍向けにグラジェーターを開発し第二次世界大戦直前の主力戦闘機を排出した。第二次世界大戦中にはホーカー・シドレーの子会社としてホーカー ハリケーン、ホーカー タイフーンの生産を担当。また、英国最初のジェット戦闘機グロスター E.28/39とその実用機グロスター ミーティアを製造したメーカーであるが、ホイットワースとの合併を経て、例によって、戦後のEC化によりブリティッシュ・エアロスペース(BAe)に吸収される

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・グロスター・グラジェーター(複葉戦闘機)
    ・グロスター・シーグラジェーター(複葉艦上機)
    ・グロスター・ミーティア(ジェット戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・グロスター・ジャベリン(ジェット戦闘機)


ハンドレページ社
 第一次大戦中はハンドレページ・トランスポート社として旅客機製造を行なっていたが閉塞。第二次世界大戦直前にハイドレページ社は爆撃機メーカーとして再開し、双発爆撃機のハンプデン、そしてアブロ・ランカスターとともにイギリスの戦略爆撃機として活躍した四発爆撃機のハリファックスを製造した。
 戦後には三日月翼のヴィクターというジェット爆撃機を生産した。ヴィクターは後に空中給油機に改装され、長く用いられたが、ハイドレページ社は1970年に倒産。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ハンドレページ・ハンプデン(双発中爆撃機)
    ・ハンドレページ・ハリファックス(四発重爆撃機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・ハンドレページ・ヴィクター(ジェット空中給油機)


デ・ハビランド社
 1920年にエンジニアのジェフリー・デハビランドが創設したイギリスの航空機メーカー。第二次世界大戦前にはデハビランドは双発の高性能機DH88コメットを生産し、 コメットは1934年に英国からオーストラリアへの長距離レース、マックロバートソン・エアレース(豪ビクトリア州創立100周年記念レース)で優勝させたメーカーであった。
 第二次世界大戦時には
高性能な機体の設計技術と木製構造にたいする経験が、全木製戦闘機のモスキートを生んだ。設計当初は自主開発でありながら、その試作の高性能ぶりが英空軍に認められた経緯がある。モスキートは戦時下のアルミニウムの不足に対応するものでもあり、英国3大救世主機体の一種(他はスピットファイアとランカスター)とされている。その機体無武装の偵察型は、当時のレシプロ機の最高速を保持していたし、他国で真似た木製軍用機も作られたがモスキートをしのぐ機体は皆無であった。
 戦後、バンパイヤ、コメット等のジェット機開発も手がけるか、1959年にホーカー・シドレー社に買収された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・デハビランド・DH82タイガーモス(練習機)
    ・デハビランド・DH88コメット(双発戦闘機)
    ・デハビランド・モスキート(双発戦闘機)
    ・デハビランド・DH100バンパイヤ(ジェット戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・デハビランド・DH103ホーネット(双発戦闘機)


ブリストル社
 第一次世界大戦から第二次世界大戦まで様々な新機軸を取り入れた機体を開発製造したかつての英国航空機メーカー。意欲的な機体が多い英国航空史の中でも、戦闘機よりも早い高速爆撃機ブレニウム、多目的戦闘機ボーファイターなど特徴的な機体を多く輩出した。。また、エンジン開発にも積極的に参画し、名作エンジン:ジュピターは世界各国でライセンス生産された程であった。
 現在では国営化ブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(BAE)に吸収されている

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ブリストル・ブルドッグ(複葉戦闘機)
    ・ブリストル・ブレニウム(双発爆撃機)
    ・ブリストル・ボーフォート(双発雷撃機)
    ・ブリストル・ボーファイター(双発戦闘機)


ブラックバーン社
 主に海軍向け単発機を開発製造した航空機メーカー。英国としてはめずらしい急降下爆撃機スキュアを開発した実績を持つ。あまり世に出ていないこっけいな試作機も数多く、駄作機メーカーとして有名になった。
 第二次世界大戦後はイギリス航空産業改編の流れを受け、ホーカー・シドレーに買収された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ブラックバーン・シャーク(艦上雷撃機)
    ・ブラックバーン・ロック(艦上戦闘機雷撃機)
    ・ブラックバーン・ボウダ(双発雷撃機)
    ・ブラックバーン・スクア(艦上雷撃機)


フェアリー社
 英国海軍機を支えつづけたかつての名門航空機メーカー。第二次大戦中の英空母に艦載されている機体が全てフェアリー社製だった事は多々あった。
 特にソードフィッシュは複葉ながら大戦中全期間を主力雷撃機として活躍しつづけた名機である。例えば、ドイツ軍戦艦ビスマルクの舵破壊、イタリアのタラント軍港に奇襲雷撃をかけての戦艦轟沈など、雷撃攻撃の有用性を世界に証明した機体であった。しかし、ソードフィッシュも含めて以後の艦上機もどちらかというと二線級な性能であったようで、米国から提供されたマーレット(F4Fワイルドキャット)やF6Fヘルキャットに主力艦上機の座を奪われる時期もあった。その点は英海軍航空部隊の予算不足をカバーし続けて来た国内メーカーでもあったと言える。
 戦後のジェット化では部隊配備を受けたのはガネット哨戒機ぐらいで、艦上機メーカーの立場はホーカー社に取って代わられた。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・フェアリー・ソードフィッシュ(艦上雷撃機)
    ・フェアリー・バトル(艦上攻撃機)
    ・フェアリー・フルマー(艦上戦闘機)
    ・フェアリー・バラクーダ(艦上雷撃機)
    ・フェアリー・アクバコア(艦上雷撃機)
    ・フェアリー・ファイヤフライ(艦上戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・フェアリー・ガネット(艦上対潜哨戒機)


アームストロング・ホイットワース社
 1897年に、ウィリアム・アームストロングとジョセフ・ホイットワースの製造会社が合併して作られ1902年から乗用車やトラックなど自動車の製造をはじめ、1913年に航空部門を設けた英国企業。兵器、船、機関車、航空機など幅広い分野の製造を行なっていた。創設者の一人、ウィリアム・アームストロングはアームストロング砲を開発した発明家である。
 第二次世界大戦中は、戦艦造船ではエリンやネルソンを建造。軍用機ではいち早く全金属製大型爆撃機となったホイットレイを製造した。戦後に航空機部門は、ビッカーズと合併しビッカーズ・アームストロング社をへて、ビリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(BAC)に参入。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・アームストロング・W・ホイットレイ(双発中爆撃機)
    ・アームストロング・W・アルベマーレ(双発偵察・標的曳航機)


ビッカーズ社
 1920年頃から開発開始したヴィルデビーストという複葉雷撃機が英海軍に採用され、第二次世界大戦では初期の主力双発爆撃機となったウェリントンを排出したメーカー。大圏構造というのボティ構造を持った技術を得意としており、細長い金属板を網かご状に組み込んで外構を形成していく手の込んだ工法であった。
 戦後に、アームストロング・ホイットワース社と合併しビッカーズ・アームストロング社をへて、ビリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(BAC)に参入。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ビッカーズ・ヴィルデビースト(単発雷撃機)
    ・ビッカーズ・ウェルズリ(単発爆撃機)
    ・ビッカーズ・ウェリントン(双発爆撃機)
    ・ビッカーズ・ウォーウィック(双発哨戒・救難機)


ショート・ブラザーズ社
 1902年に設立した古くからのメーカーで飛行艇メーカーとして成長。第二次世界大戦時にはサンダーライトやスターリングという大型機を担ったメーカーであった。戦後から間もない期間には、イギリス軍の依頼を受けていくつかの実験機を製作した。
 現在、北アイルランドのベルファストに拠点を置くアイルランド社籍となり、現在は航空機の製造を止め、カナダのボンバルディア・エアロスペースの傘下で、ナセル・システム、胴体とフライト・コントロールを設計、製造している。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ショート・サンダーランド(双発飛行艇)
    ・ショート・スターリング(四発爆撃機)

ボールトンポール社
 1914年から1961年の間活動したイギリスの航空機メーカー。第二次世界大戦中はフェアリー・バラクーダ、戦後はデハビランド・バンパイアなど主に他社の設計した航空機を生産していたが、動力旋回銃座のみをもち固定機銃をもたないという珍しい戦闘機デファイアントを製作したことで有名なメーカーである。しかし、デファイアントは動力旋回銃座の重量増によって戦闘機としては使い物にならず、ダンケルク徹底時の航空戦でメッサーシュミットBF109Eにボコボコにされて、駄作機の代名詞となった機体であった。また、同じように動力旋回銃座を単座機に積んだ海軍戦闘機ブラックバーン・ロックの生産も、ブラックバーン社に肩代わりして生産をしていた。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ボールトンポール・デファイアント(戦闘機)

エアスピード社
 主に米国企業の資本でニューヨークで発足した株式会社あり1931年から輸送機部門で活動。1934年に英国のポーツマスへ移転し、1937年に英空軍練習機としてオックスフォードを手がけ軍用機メーカーとして活動を始める。1940年にはデハビラントの完全子会社という立場であったが独自の航空機設計が進められ、1941年に兵員輸送グライダーとして名高いホルサを開発し英国航空業界にセンセーショナルを与えた。しかし反面、正式採用を取れた機種は無かったが、戦闘機開発要求仕様に特異で奇抜な設計をもって応募を行なっていた経緯があったユニークな会社であったのも確か。
 戦後の1951年に、完全にデハビアラントに吸収合併された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・AS10オックスフォード(双発練習機)
    ・AS45ケンブリッジ(双発練習機)
    ・AS51ホルサ(兵員輸送グライダー)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・AS57アンバサダー(双発旅客機)

    ・AS58ホルサU(兵員輸送グライダー)