ソビエト設計局
 第二次世界大戦前にロシア帝国がソ連共産党に崩壊され、共産化された航空機業界は、それぞれ優秀な設計技師を中心とした設計局として活動した。第二次世界大戦中はスターリンの独裁恐怖政治の影響を受け、ペリヤコフ、ツボレフなどのように獄中にて機体設計させらたり、突然の閉局を言い渡された開発局も数多い。
 戦後、そんな中でもミグ設計局はジェット戦闘機として大成功をし、ペレストロイカ以降はスホーイ設計局も活発に量産機体を開発してゆくことになる。

ポリカールポフ設計局
 国内初の設計機であるI-1を開発して以来、ソ連老舗の設計局。ニコライ・ポリカールポフ設計者を中心として農労赤軍の主力を務めた複葉戦闘機I-15、世界初の低翼全金属引込み脚戦闘機I-16など、第二次世界大戦初期に至るまで、ソ連の空を守り続けた戦闘機を設計した。
 
そんなポリカールポフ設計局も、ニコライ本人の引退に伴い、独立した若い技術者による設計局の台等により、第二次世界大戦終結を待たず閉局となる。
≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・ポリカーポフ・I-15(複葉戦闘機)
    ・ポリカーポフ・I-16(戦闘機)
    ・ポリカーホフ・I-153(複葉戦闘機)
    ・ポリカーホフ・I-180(戦闘機)
 

ヤコヴレフ設計局
 アレクサンドル・ヤコブレフ設計者が開設を命ぜられた航空機開発局。第二次世界大戦から朝鮮戦争にかけてソ連の主力戦闘機をの代名詞であった。なかでもソ連で「最も偉大な戦闘機」のひとつ言われたYak-1〜Yak-9のシリーズはその小型ながら拡張性が高く、国内重点製造機種として独ソ航空戦の主力であり続けた戦闘機である。
 戦後は、ジェット戦闘機も手がけるが、政治的な理由もあり恵まれず、軍用機分野の前面からはほとんど追い出された形となった。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Yak-1(戦闘機)
    ・Yak-3(戦闘機)
    ・Yak-7(戦闘機)
    ・Yak-9(戦闘機)
    ・Yak-11(高等練習機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・Yak-15(ジェット戦闘機)
    ・Yak-17(ジェット戦闘機)


ラボーキチン設計局
 ラボーチキン、ゴルブノフ、グドコフの3人が共同開発で始まった設計局。後にラボーキチンが単独となる。ヤコブレフ開発局とともに戦闘機を担当した。ヨーロッパがきな臭くなってきた第二次世界大戦直前から、Lagg-1、Lagg-3、lagg-5、Lagg-7と続々と戦闘機を開発して行く事になるが、レシプロ戦闘機ではライバルのヤコブレフに性能面でも追いつくことは無かった。ただし、ラボーキチンの機体は、あくまでソ連当局によって補助制空戦闘機開発(Yakシリーズのサブ的存在)の至急開発命令を受けた開発局としては、十分に期待に答えたものだと言える。
 戦後にはジェット戦闘機も意欲的に開発するが、戦後に力を付けたミグ設計局の台等により、1940年代後半に閉局された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Lagg-1(戦闘機)
    ・Lagg-3(戦闘機)
    ・Lagg-5(戦闘機)
    ・Lagg-7(戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・Lagg-9 フリッツ(戦闘機)
    ・Lagg-11 ファング(ジェット戦闘機)


ミグ設計局
 アルチョーム・イヴァーノヴィチ・ミコヤン・グレヴィッチ設計者と、ミハイール・ヨーシフォヴィチ・グレヴィッチ設計者の二人が共同して開局した戦闘機設計局。正式には「ミコヤン・グレヴィッチ開発局」であるが、略してミグと呼ばれるのが一般的。
 第二次世界大戦中は新参者開発局であり、高高度迎撃戦闘機Mig-1、Mig-3の量産を始めるも、その操縦性の悪さからパイロットには不評であった。
 レシプロ機ではあまりパッとしなかったものの、戦後のジェット化に伴い、Mig-15、Mig-17、Mig-21、Mig-25、MIg-29と、次々とソ連の主力を務めるジェット戦闘機を開発してゆくことになった。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Mig-1(戦闘機)
    ・Mig-3(戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・Mig-9 ファーゴ(ジェット戦闘機)
    ・Mig-15 ファゴット(ジェット戦闘機)
    ・Mig-17 フレスコ(ジェット戦闘機)
    ・Mig-19 ファーマー(ジェット戦闘機)
    ・Mig-21 フィッシュベット(ジェット戦闘機)

    ・Mig-23 フロッガーB(ジェット攻撃機)
    ・Mig-25 フォックスバット(ジェット戦闘機)
    ・Mig-27 フロッガーD(ジェット攻撃機)
    ・Mig-29 ファルクラム(ジェット戦闘機)
    ・Mig-31 フォックスハウンド(ジェット戦闘機)
    ・Mig-35 ファルクラムF(ジェット戦闘機)


イリューシュン設計局
 1933年に開局された、セルゲイ・イリユーシン設計者の開発局。第二次世界大戦時は主に爆撃機を担当し、彼亡きあとも設計局は引き継がれ、現在では旅客機が有名。
 代表的なIL-2シュトルモビクは、総生産機数36163機で現在にかけても軍用機史上最生産数である
。この機体は膨大な生産数を生かした運用と、明らかに機関銃弾が命中しているにも関わらず、撃墜どころか火さえなかなか噴かない頑丈な構造を持ち、、ドイツ空軍から「空飛ぶベトンブンカー(コンクリートトーチカ)」と厄介がられ、ドイツ陸軍の兵士達からは「黒死病」「黒き死」と仇名されたほど恐れられた。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・DB-3(双発爆撃機)
    ・IL-2 シュトルモビク(双発襲撃機)
    ・IL-10 シュトルモビク(双発戦闘機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・IL-28 ビーグル(ジェット攻撃機)

    ・IL-62(ジェット旅客機)



ペトリヤコフ設計局
 ウラジミール・ペトリヤコフ設計者の設計局。ペリヤコフはスターリンの大粛清で1937年に投獄されるが獄中で、KB-100と呼称される設計局を組織し、新機軸爆撃機を開発するように命じら、Pe-2の礎となった機体設計を行なった。 その主要生産機となったPe-2は、事故率が高かったものの優れた速度性能を示したことから赤軍空軍の主力急降下爆撃機として採用された。しかし、1942年にペトリャコフ自身が搭乗していたPe-2の墜落事故で死亡した。
 その後、設計局は彼のもとで働いていた設計陣により継続されたが、1946年にミャスィーシチェフ設計局に改称された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Pe-2(双発急降下爆撃機)
    ・Pe-2I(双発戦闘機)
    ・Pe-8(四発爆撃機)

スホーイ設計局
 パーヴェル・スホーイによりスホーイ設計局として設立された。第二次世界大戦では、単発襲撃機のSU-2を開発。新参開発局ながら期待をかけられたが、急降下性能も悪くドイツ軍との交戦で被弾に弱さが顕著に現れ、IL-2の台等とともに、予備役扱いとなって偵察機・先導機として使用された。
 戦後、ジェット戦闘機を手がけるがパッとせず、長くミグ設計局がそのTOPに君臨。1980年後半にSu-27フランカーによってソ連戦闘機の主力設計局に躍り出て現在に至る。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・Su-2(襲撃機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・Su-5 (ジェット混合戦闘機)
    ・Su-7 フィッター(ジェット攻撃機)
    ・Su-9 フィッシュポット(ジェット戦闘機)
    ・Su-11 フィッシュポットC(ジェット戦闘機)
    ・Su-15 フラゴン(ジェット戦闘機)
    ・Su-24 フェンサー(ジェット戦闘機)
    ・Su-27 フランカー(ジェット戦闘機)
    ・Su-30 フランカーC(ジェット戦闘機)
    ・Su-33 フランカーD(ジェット艦上戦闘機)
    ・Su-35 フランカーE(ジェット戦闘機))


ツポレフ設計局
 第一次世界大戦直後にアンドレイ・ツポレフによって創設。当初より爆撃機等の大型機を担当した設計局であった。
アンドレイ・ツポレフは大粛清の時代の1937年に「外国に機密情報を流した」として反国家運動で逮捕されたがそういった逮捕者で構成された設計局で航空機設計の仕事を続けた。その後、スターリンの死後まで釈放されなかった。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・TB-3/ANT-6(四発爆撃機)
    ・Tu-2(双発爆撃機)
≪主要な機種/第二次大戦後≫
    ・Tu-4(四発爆撃機)

    ・Tu-16 バジャー(ジェット爆撃機)
    ・Tu-22 バックファイヤー(ジェット爆撃機)


カリーニン設計局
 ウクライナ出身の航空機設計者コンスタンチーン・アレクセーエヴィチ・カリーニンによって開局。機体は当時としては大型が多く旅客機や爆撃機として使用されたものが多かった。
 しかし、カリーニンは1938年自作航空機の試験飛行中に事故死。その後、1940年にスターリンの命により設計局は閉鎖された。

≪主要な機種/第二次大戦時≫
    ・K-7(七発重爆撃機)