コラム37.今更ながら操縦系統の説明を
 
 一般的な尾翼形式の場合の操縦翼面を、P-47Bサンダーボルトを例に復習して行きたいと思います。
 まず右図の水色部分、左右水平尾翼にある水色部分が「エレベーター」。飛行中の機体姿勢を上向き・下向き(ピッチング)操作する為のもので、左右同方向に作動し、機首を上向けて機体を上向きにするにはエレベータを上向きにピッチする事になります。運動エネルギーが持続している場合にこの上向き姿勢を続けると機体は上昇します。
 右図の黄色部分、主翼後縁の両側外側が「エルロン」。飛行中の機体姿勢の左右バランスを操作するもので、左右のエルロンは全く逆に上下する事によって左右の翼の位置関係が上下します。ロールと呼ばれる動きの事です。
 垂直尾翼後方のピンク部分が「ラダー」。機体の姿勢の内、機種の左右向き(ヨーイング)を操作出来ます。
 左右どちらかに旋回させる場合、ラダー操作でヨーイングの動きを与えるだけで無く、エルロンで曲げたい方向へロール姿勢させる事がスムーズな旋回を行なうには肝要な事です。
 一般的に、操縦桿の上下でエレベータ、操縦桿の左右でエルロンを操作出来、ラダーはフットペダル等で操作します。
 以上が操縦系統です。車両や船の二次元の動きではなく、3次元の動きでピッチ・ローリング・ヨーイングを屈指し、尚且つ、その運動における気圧変化に耐えてながら操縦してたんですね。
 おっと、もう一種類大事な操縦系統を忘れていました。主翼後縁内側で右図緑色部分に位置する「フラップ」。このフラップを降ろす事によって揚力を増す事になり、離陸時に離陸力を増加させたり、着陸時に失速速度を抑えたりする働きがあります。一般的に、フラップは降ろすか元の位置に戻すかしか出来ません。
 但し、こと軍用機においては、フラップにも色んな新機軸が盛り込まれた機種が出現しました。ダイブブレーキを兼ねたフラップは米海軍急降下爆撃機の特徴的なシステムで、SBDドーントレス、SD2Cヘルダイバーにも備えられていました。また、ドッグファイト時の運動性能を増すためにフラップを中段降ろす事は戦闘機では多く見られましたが、英国海軍のフェアリー系攻撃機はユングマンフラップという独自の独立したフラップを装備。日本陸軍機の隼は蝶番フラップと言われた突き出しフラッップを装備、日本海軍の紫電改はなんと自動空戦フラップを持ち、格闘時にフラップ角度が自動的に調整される優れものでした。
 あと、右図で赤い部分ですが、これは機種によって付いて無かったりあったりしますが、「トリムタブ」と呼ばれるもので、機体の微調整や操舵力削減の働きをしました。
 現在のジェットでは、水平尾翼全体がエレベータであったり、デルタ翼でエルロンとエレベーターを兼ねる「エレポン」、ラダーとエレベーターを兼ねる「ラダーベーター」など、いろいろ応用操縦系統も出現してきています。
 では、実際に文字でP-47Bを離陸させて見ましょう。
 主脚にブレーキをかけたままエンジンを始動します。前方視界を得るために風防を開け座席位置をレバーで上に上げます。スロットルを30%ぐらいにしてブレーキを徐々に緩め、滑走路アプローチ入り口まで徐行します。地上滑走における舵はラダーと、左右の主脚のブレーキのかけ具合で調整します。アプローチ位置まで持ってきたら、フラップを下一杯にまで下げ、プロペラピッチが70〜80%になっているかを確信し、スロットルを徐々に上げて離陸滑走に入ります。どんどん滑走速度を上げてゆきますが、この時プロペラの回転トルクによってやや左に機体向きがずれようとしますので真っ直ぐ滑走するようにラダーで機首の向きを調整しながら加速させます。このトルクに対するヨーイング制御は離陸開始前にラダーに位置するトリムタブで前もって角度を当てておく事も出来ます。ある程度の速度に達すると機首が下がって尾輪が地面を離れるので、左右に振られたりプロペラで地面を叩かないよう操縦桿とラダーを操作しながらスロットルを一杯まで上げていきます。滑走速度が150km/hぐらいを越えてくると離陸開始時に感じていた機体重量がフワッと失われる感覚が出てきます。それを感じたら、操縦桿を徐々に手前に引いてエレベーターを下に下げるます。そうすると機首がやや上に向いて離陸しはじますので、スピードを極端に失わないよう機首角度を加減して上昇を続けます。この時、急な操縦系統操作を行なうと失速やスピンしますのでゆっくり行なうのがコツです。時速200km/hを越えて飛行姿勢が安定してくると、主脚を格納し、座席を元の高さに戻します。フラップやトリムタブも中立に戻します。あとは、そのまま目的の高度まで駆け上がりましょう。以上で、離陸完了です。
 P-47BならIL-2シュミレーションデームで離陸させていました。P-47Bは重量があるので滑走距離は少し長く必要ですが、ありあまるエンジンパワーがあるので離陸させやすい機種でした。まあ、IL-2フライトシュミレーションデームで操縦できる機種で最も離陸やせやすいのはゼロ戦ですね。増槽をパイロンに付けた状態であっても滑走時速120km/h越えたころから勝手に離陸し始める能力を持っていました。
 

 
  
 
コラム38.ルーマニア王立空軍

 ルーマニアは第一次世界大戦では、連合国側に立ってオーストリア・ハンガリー帝国等と戦い、周辺国が疲弊した終盤に領土を拡大していました。このため周辺国と敵対関係にあり、ファシズムに傾倒した当時の国王であるカロル2世は、ナチスドイツに接近しプロエシュテ油田の石油を供給することでドイツの新鋭機を入手。しかし、ソ連、及びドイツの別の友好国であるハンガリーやブルガリアの領土割譲要求をのまされたことで、カロル2世は失脚・亡命します。そして、親ナチスのアントネスク将軍が独裁者となったルーマニアは、ソ連から領土を取り返すため枢軸国の一員として第二次大戦に参加することになります。
 ソ連やハンガリー・ブルガリアと敵対している関係の緊張感から、国内にI.A.R.(Industria Aeronautica Romana、ルーマニア航空工業)という航空機開発部門も開設し、国外からの輸入及びライセンス生産で技術を必死で習得し空軍を充実させようとしていたていたルーマニアは、第二次世界大戦が勃発する迄に、ポーランドのPZL社が開発したP.11戦闘機の改良型であるP.11fやP.24eのライセンス生産や、イタリアのSM79Bを改良してライセンス生産したJRS.79Bを保有し、「最高のルーマニア軍用機」と呼ばれるIAR-80シリーズも開発開始されていた状態でした。
 バルバロッサ作戦が発動されようとする頃には、主力戦闘機としては国産のIAR80とドイツ製Bf109Eを保有。急降下爆撃機として国産のIAR-81とドイツ製Ju87B、双発爆撃機としてJRS.79を保有するようになっており、ドイツにとって東部戦線南方軍で唯一便りになる空軍力を保有するようになっていました。そしてバルバロッサ作戦で華々しい進撃を開始したドイツ軍とともに地味ながらもルーマニア空軍はドイツ空軍とともにモスクワへ進撃。しかしモスクワの手前まで進撃しながらも、冬将軍の襲われ力尽きてしまいます。そしてスターリングラード攻防戦でルーマニア地上軍もドイツ軍と共に大打撃を受け、これ以降、反撃に移ったソ連に対し防戦一方となり、Bf109Gもドイツから輸入して最重要拠点であるプロエシュテ油田などの防空を必死に努め上げる事になります。
 国産のIAR-80戦闘機は、当時の機体としては珍しく尾輪ではなく尾ソ リを持つなど時代に逆行している点もあったが、空冷1,030馬力エンジンで最高速度550km/h、固定武装7.92mm機銃×4、13mm機銃×2と、各国の1000馬力級戦闘機と比べても劣るところがない優秀な機体で、枠組の無いキャノピーなど最先端のデザインも取り入れて総生産436機。
 1943年夏には、約60機のIAR-80が首都ブカレストと東ヨーロッパ最大の油田地帯であるプロイェシュティの防空任務に就いており、米陸軍航空隊のB-24(177機)大編隊がプロイェシュティに飛来した際には、濃密な対空砲火に加えて、50機のIAR-80と30機のBf109Gが迎撃して54機のB-24を撃墜する大戦果も挙げています。
 しかし1944年6月、ついにソ連軍がルーマニア国内に進撃してくる状況となり、ルーマニアに駐留していた同盟国ドイツ軍は早々に撤退を始めたどころかルーマニアの連合軍への寝返りを恐れて突如ルーマニアに対する爆撃を開始します。このドイツ軍の攻撃はルーマニア国内における政変の動きを察知したもので結果的にルーマニアはソ連と講和を結んでしまい、8月にドイツに対して宣戦布告します。ルーマニア空軍は約100機のIAR-80とIAR-81もドイツ軍に挑みますが時速650km以上の最高速度を有するBf109やFw190に対して分が悪く、専ら地上攻撃に投入されるだけでありましたが、ルーマニア油田の採掘権を失ったドイツ軍は急速にその軍事力が衰退する結果を招き、敗戦に至ります。
 数奇な運命で戦ったルーマニア空軍ですが、航空後進国でありながら東欧ではピカイチの戦闘能力を持った存在でありました。



 
コラム39.戦間期の巨砲搭載機 

 軍用機歴史の中で、その威力への魅力から機体サイズや馬力に合わない巨砲を搭載した機種が出現しています。今回はそんな巨砲搭載機の中でも第一次世界大戦と第二次世界大戦との間、いわゆる戦間期と呼ばれる時代の話です。
 まずは1929年に英国空軍が試作したCOWガン・ファイター要求仕様(F29/27)。大口径の砲を積んだ戦闘機で大型爆撃機を迎撃しようという機体の開発要求である。この要求仕様に採用されたのが、ヴィッカーズ・Type161という機種で全長7.2m全幅9.9mの複葉機の機首に斜め45度上向き37mm速射砲を固定装備(弾薬50発)していた。爆撃機を下からドカンドカンと打ち落とすつもりだったんだけど、ソ連のI-15とほぼ同じ機体サイズで530馬力エンジンに400kgの37mm速射砲じゃあ、飛んでるのがやっとの状態で最高速度が298km/h。1発の砲弾だけでも1kgあった。飛行船ならともかく爆撃機が時速300kmを越えて飛んでくる当時としては使い物にならないし、COWガンを斜め上空に撃っちゃうと飛行自体が危なくて飛んでられなので量産中止となりました(設計段階で気づけよ)。
 ソ連ではもっとすごい事をやらかしていました。なんと75mm無反動砲。砲身の中で装薬を爆発させて前方に砲弾を飛ばすと同時に、後ろに砲弾と同重量の物体飛ばすという反作用を利用した76mm砲で、これをゼロ戦と同サイズ位の単発機専用機グリゴロヴィッチIP-1という機種の左右翼下に合計2門も固定武装していた。1934年に原型が初飛行して200機の量産が決定したんだけど、ここでソ連はこの機種の欠点に気づいた。弾道が極端に遅くて照準出来ないし、しかも自動装填じゃないので次弾装填は何と一旦地上に降りなきゃ行けないし、砲身寿命がたった10発で使い物にならない(設計段階で気づけよ)。もう量産が始まっていたので、無反動砲は取っ払って変わりに7.62mm機銃2門入りのガンパックを変わりに装着したんだけど、元の設計からバランスを失ってしまっていて、飛行中にスピンする機体になってしまった。水平尾翼をいじったりいろいろ苦労しましたが改良途中で放棄されちゃいました。
 しかし、ソ連ではまだ無反動砲搭載の戦闘機を諦めてませんでした。前回使い物にならなかったクルチェフスキー無反動砲が改良されて電気で自動装填出来るようになりました。しかしその改良のセイで砲身長が何と4mになってしまった。そこでこの自動装填式無反動砲を活かせる専用機を開発開始します。
 まず、ツポレフANT-23。4mの長さの無反動砲そのものを双胴形式の胴体として構成させ、エンジンは中央機首に串型で2基配置。どうです、自動装填式の76mm無反動砲を2門も搭載してて強そうでしょ。そして1931年試作機が初飛行したが、やっぱり後ろのエンジンが役に立っていないし、後ろの垂直尾翼が何故か中央に一枚だけで方向安定性も操縦性能も悪い。改良が必要ということでテストしていたら飛行中に片方の無反動砲が暴発事故起こして墜落。すぐさま開発中止となりました。
 1932年、懲りずにソ連はもっと大口径の102mmの無反動砲搭載の機体を開発します。それが、ANT-23に引き続きまたもやツポレフ設計局に開発させたツポレフANT-29。102mmの大口径で4mもある無反動砲なので翼下にぶら下げる訳には行かない。そこで、ツポレフで開発が進んでいた高速爆撃SB-2の機体を流用して、胴体内に102mm無反動砲を縦に埋め込んだ。無反動砲なので機体尾部にオモリ弾の射出口が突き出てる所なんか只者では無いフォルム。安直にSB-2の機体を元に試作機製作に入ったのだが、なかなか製造がはかどらずそれでも試作機はなんとか1935年に初飛行。でも、想像通り性能劣悪。SB-2の最高速が450km/hに対してANT-29は352km/h。しかも加速が眠くなるほど遅い。その上、縦方向の安定性が危険なほど不安定。設計陣は顔面蒼白で、ツポレフ設計局の責任者であるツポレフは収容所送り。無反動砲の設計者クルチェフスキーは逮捕されたあと消息不明(消されたか)。
 ツポレフはその後、収容所内でTu-2を設計して釈放されるのは有名な話です。
 第二次世界大戦が勃発すると各国で戦時パワーを発揮して、少しまともな機種が現れます。例えば、機首に75mm砲を搭載したヘンシェルHs129B-3、翼下に37mm機関砲2基を搭載したJu87Gスツーカー、同じく翼下に40mm機関砲2基をガンポッド式で装備したハリケーンMkUDや、機首に37mm機関砲を装備出来たDB-7ボストン。そして、プロペラシャフトに37mm機関砲1基を標準搭載したP-38エアラコブラ、P-63キングコブラ。何れも飛行性能は鈍重ながらも対戦車攻撃機として実戦に出てます。こうやって見るとP-39エアラコブラって1941年の第二次世界大戦勃発時には既に実戦配備されておりソ連軍機として活躍しましたから、対戦車攻撃機としては名機だったって気がしますね。
 しかし、今回は戦間期について巨砲搭載機というジャンルの話をしましたが、戦争が起こりうる気配の無い時代って、軍事費削減とかの要因もありますが、「平和ボケ」っていうか、用途に見合わない駄作機が出現しやすい時期でありまして、戦術的にも「戦闘機よりも早い爆撃機」「戦闘機無用論」「動力銃座最強論」などと言う冷静に考えれば試作機製造前に「ダメなのに気づけよ」というのが多いです。もちろんこの現象は、戦後の冷戦期に「ミサイル万能論」や「巨大ジェット爆撃機」などの駄作を生み出す発想に引き継がれています。



 
コラム40.英国爆撃機のドイツ爆撃

 以前のコラムで、ドイツ双発爆撃機を他国機と比べる話をしましたので、今回は英国の主要爆撃機を主として話を
    1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 合 計

ウェリントン 15,553 14,621 6,474     36,648
モスキート -  232 1,550 15,160 9,925 26,867

スターリング 2,327 7,759 14,495 3,240   27,821
ハリファックス 1,249 7,274 33,480 146,113 36,091 224,207
ランカスター -  11,367 100,517 361,004 135,724 608,612

進めようと思います。右図は、英国主要爆撃機の爆弾投下量の比較図です。
 私にも意外だったのが双発のビッカーズ・ウエリントンって初期2年間は主力として頑張っている事でした。モスキートやランカスターが就役して量産化してくるとやっと退役出来たっていう感じです。同じ双発爆撃機のブレニウムやホイットレー、ハンプデンはもっと旧式化が早く爆撃投下量が少ないので表に載せませんでした。
 1943年になると、四発爆撃機が主役となってアブロ・ランカスターが10万トンを越える爆撃量を誇っています。二番手はハンドレページ・ハリファックスとなっています。ショート・スターリングは終戦前に旧式化で退役してます。
  ウェリントンB.MkU モスキートB.Mk16 B-25Jミッチェル
全 長 18.54m 13.57m 16.1m
全 幅 26.26m 16.52m 20.6m
乗 員 6名 2名 6名
最大離陸 13,400kg 11,000kg 19,000kg
エンジン ハーキュリーズ11 マリーン77 Rサイクロン2600
出 力 1,500馬力×2 1,710馬力×2 1,700馬力×2
最高速度 410km/h 668km/h 438km/h
上昇限度 5,790km 11,000km 7,500m
航続距離 2,480km 2,400km 2,200km
武装機銃 7.7mm×8 無し 12.7mm×12
爆弾搭載 2,000kg 1,814kg 2,800kg
総生産 11,464機 7,781機 9,550機
 では、次に、ウェリントンとモスキートの性能緒元に比較です。同じ双発爆撃で米国のミッチェルも比較対象で表記しました。数値を見てみるとやはり、モスキートの性能が際立っています。モスキートの秀でた性能としては高速性能と高空上昇限度が優れている点で、高度1万mを越えると並みの戦闘機では満足に迎撃出来ませんし、爆弾搭載量もこのサイズではかなり優秀な数値となっており、さすがという感じです。速度と航続力は爆弾搭載量に反比例しますから、モスキートに関しては爆弾搭載量を抑えて高速を活かしたピンポイント攻撃を得意とします。ドイツ軍にとってかなり嫌な存在だったでしょう。ウェリントンはモスキートとは違って高空上限度が6,000mを越えてれない点がネックです。この高度だと高空性能の悪いフォッケウルフFw190Aでも全力で迎撃が出来る高度です。その点、米国のミッチェルは特に秀でた数値は見当たりませんが欠点となる数値もなく、持ち前の強武装と頑丈さがあるので頼りになる双発爆撃機です。高度7,000mを越えて飛ぶとフォッケウルフFw190はフラフラな状態でしか迎撃出来ません(メッサーショミットBf109はマシな迎撃が出来ますが)。しかしウェリントンって製造に手間のかかる大圏構造で11,464機も作っていてB-25ミッチェルより生産が多いのは驚きです。数を作って初期の爆撃任務を支えていたって事です。逆に言えば、他の双発爆撃機が頼りなかったのでしょう。
  ハリファックスB.Mk3 ランカスターB.Mk3 B-17G
全 長 21.82m 20.98m 22.66m
全 幅 31.75m 31.09m 31.62m
乗 員 7名 7名 9〜10名
最大離陸 24,675kg 32,688kg 29,710kg
エンジン ハーキュリーズ6 マリーン24 Rサイクロン1820
出 力 1,680馬力×4 1,640馬力×4 1,200馬力×4
最高速度 454km/h 462km/h 462km/h
上昇限度 7,315km 7,468m 10,850m
航続距離 3,000km 4,312km 3,219km
武装機銃 7.7mm×9 7.7mm×8 12.7mm×13
爆弾搭載 5,900kg
又は魚雷2
9,980kg 7,983kg
総生産 7,782機 7,337機 12,731機

 では、次に四発爆撃機です。最初に表で表したとおり、アブロ・ランカスターが英国の四発爆撃機のエースでした。生産数はハンドレページ・ハリファックスと変わらない数ですが、はやり性能緒元からの数値でも、航続距離と爆弾搭載量にその性能差が表れていています。そうそう、この2機って型式によっては非常に外観が似ています。機首の形状などはむしろランカスターがハリファックスの真似をしたって感じです。
 ところで英国の四発爆撃機は夜間爆撃を担当しました。その理由は昼間爆撃で多大な損害を出した事と、モスキートの夜間戦闘機・パスフェンダーの性能が良かったセイです。で、白昼のドイツ爆撃を担当したのが、米軍のB-17フライングフォートレス。
 B-17フライングフォートレスは、1,200馬力のエンジンながら、高空上限が1万mを越えているのが一番の強みで強武装と頑丈さもあり編隊飛行によって強行爆撃が日中に出来たんですね。
 それにしても、英米の名作四発爆撃機のランカスターとB-17はその設計で重視した性能の差がはっきり現れています。ランカスターは航続力と爆弾搭載量を重視し、B-17は世界最初の排気タービンを実用して高度飛行性能を重視した点です。ランカスターが白昼の編隊爆撃が出来なかった現実を見ると、どちらの設計がより秀でていたか判ります。しかも、米国はヨーロッパ戦線には配備しなかったB-29という、B-17より優れた戦略爆撃機を保有してましたからその軍事力はやはりすごいものです。