コラム41.この愛嬌のある機体好き
 
 まずは右の写真を見てください。水面に浮かぶ飛行艇の写真ですがパイロットとの大きさを推し量ると、機体サイズが驚くほど小さいです。二枚飛翔ペラやちっこい尾翼なんかも可愛い。
 この機種の名はチェトベリコフSPL。ソ連海軍の哨戒任務用飛行艇として開発されたれっきとした軍用機です。
 第二次世界大戦どころかスペイン革命もまだ勃発していない1930年代前半、まだレーダー設備が軍艦に積めるような時代では無かった頃のお話です。潜水艦っていう便利な軍事兵器に航空機を搭載すれば、哨戒や偵察がすごく便利だという事で、潜水艦を保有する国は各自でいろいろ試行錯誤していました。で、ソ連海軍がチェトベリコフ設計局に潜水艦搭載用航空機として開発させたのが本機で、名前のSPLとは略称で、サモリュート・ドリャ・ポドヴォトノイ・ロードキ、訳すとそのまんま「潜水艦用飛行機」だとさ。
 もともとチェトベリコフ設計局は、飛行艇を専門とする設計局として開局されたのだがこの頃はまだ未熟でして、躯体原型はOSGAというボート設計局が開発した砕氷船航路偵察用の飛行艇を使用。普通、小型の水上機となるとフロート式の水上機を選びそうなものですが、飛行艇式を選んだ。中段の写真をみると判るように、なるほどボートの設計局が作った機体だけあって胴体はボートそのものです。チャトベリコフはこのボート型胴体(木製)に後方90度に折りたためる主翼を装備、胴体から鋼管ブームを後ろに伸ばしてこれも折りたためる水平尾翼を装備。胴体上部に空冷5気筒でたった100馬力のエンジンを支柱支え式で乗っけてこれも後ろに格納出来るようにした。飛行状態に展開して全長7.4m、全幅9.5m、自重はわずか952kg。乗員は2名なので全備重量は1,100kgくらいに納まる。格納状態にすると直径2.5mの格納筒に入るサイズで、このサイズなら中型潜水艦で装備出来そうな格納サイズである。
 最高速度は196km/h。100馬力エンジンしか搭載してないし、潜水艦搭載用の特殊機だし、別にソ連海軍はパナマ運河を爆撃しようと思ってないから、こんなもんでOKなのだ。浮上航行している潜水艦から飛び立ててちょっとした哨戒が出来て戻ってこれたら良いのだから。
 しかしやっぱり潜水艦の格納庫に押し込むとなるといろいろ設計に無理があったのだ。1935年に黒海沿岸のセバストポリで試作機をテストしたところ、対航性能が極めて悪い。つまり海の上で波に耐える能力が不足で、湾内など極めて波の低いところでしか安全に浮いてられなかったのだ。少し大きな波を受けるとガンガン揺れるし壊れそうになる。この対航性では黒海どころか琵琶湖でも危なくてせいぜい芦ノ湖で観光用としてでしか使えない。
 しかも飛行させてみると縦方向の安定性が極めて悪いし、失速するクセもあった。なるほど水平尾翼が申し訳程度のサイズだわさ。これでは、潜水艦の格納庫に入れても危なくて飛べない飛行機は要らない。チェトベリコフSPLは試作だけで終わり、ソ連は潜水艦搭載機を諦めました。結局、第二次世界大戦が終結する迄に、潜水艦搭載機を本気で作って一応の実用化を行なったのは日本海軍だけでした。その晴嵐も結局は華々しい実績を挙げずに変わった機体だけに終わってますね。
 本来、このサイトの意図に合わせると、このチャトベリコフSPLは「奇想天外機」で取り上げる機種ですけど、私が大好きな機種なもんで、こっちのコラムで書かせてもらいました。なぜ、そんなに好きなのって、非武装だしエギングやルアーをメインに釣りしてる私がとっても欲しい機体だからです。普段は自宅の屋根付きガレージに駐機させておいて、休日には自宅の庭から釣り道具乗っけて飛び立って、湾内に着水してすぐに釣り出来る。こりゃ便利だわ。あ、飛行機免許も船舶免許もガレージも無かった(-_-;) 

 
  
 
コラム42.クイズその2。またも真横からのフォルム

   コラム31で行なった真横からのフォルムで機種を当てるクイズの第2弾です。今回もそれぞれの機体はカラーリングや国籍マークで判断出来ないように鹵獲機を使ってワザと変えています。各機種名は、(  )の箇所に白い文字色で書いていますので、機種名を見てみたい場合は、その部分をマウスで選択反転すれば見れるようになっています。出来るだけ先に機種名を見ないでヒントだけで判断してみて下さい。
 ではまず、A〜Dの機種を判断して行きましょう。
 4機種とも水冷エンジンでかなり洗練されたフォルムを持っています。良く見るとCとDがキャノピー周りだけの違いな事に気がつきます。しかも胴体下のラジエターが独特の形ですから、あの機種だとわかりますね。でCはファストバックで、Dはバブルキャノピーですから型番も判断出来そうです。
 あと、AとBですが、垂直尾翼や水平尾翼がボディサイズに対して大きい機体はそれを大きくしないといけない原因があるのです。垂直尾翼を大ぶりにすると横方向の操縦安定がマシになり、水平尾翼を大ぶりにすると縦方向の操縦安定がマシになる。戦闘機であるからには尾翼は出来るだけ小さい程、空気抵抗を減らせるのにである。という事で、Aは垂直尾翼だけが異常にでかい。しかも操縦席がファストバック式。機首部分はスマートな形で、これは搭載エンジンのサイズが無理していない証拠です。
 残ったBは、垂直尾翼の大きさから判断して設計段階から空戦能力が高い機体ですね。良く観察するとキャノピーが特徴的な形をしています。垂直尾翼やラジエターの形も設計者の特徴が出ていますし、ラダーが真っ直ぐでは無く少し斜めになってるのもこの設計者の特徴です。同系列の機種で良く似たのがありますが、Bは真横からでは機首付近に搭載機銃の形跡が見えていないのが、真横フォルムでの差です。
 と言うことで、回答をしますと、Aは(ドボワチンD.520)、Bが( Yak-9   )、Cが( P-51B    )、Dが( P-51D   )です。せめてCとDは正解して欲しい機種です。
 今度は、E〜Gを解いて行きましょう。こちらはもっと上級編となっています。なにせマニアックな一台が入っています。
 また3機種とも水冷単発戦闘機です。この3機種を並べたのは胴体の構造に揃ってある特徴を持っているからです。その特徴がわかるとおのずと機種が絞れますね。
 とりあえず、良く見かける機種を探しましょう。普通、ちょっとした軍用機ファンならFは判る筈です。そうです、あのバトル・オブ・ブリテンでスピットファイアと共にドイツ空軍から英国を守り抜いた機種です。スピットファイヤと比べると垂直尾翼がややでかいのも特徴の一つです。
 Fの機種が判れば、3機種共通の胴体特徴が思い浮かびますね。
 では、Eを良く見ると、液冷エンジン機のクセに、機首がものすごく野暮ったい。しかもキャノピーの前方に旧式の象徴である照準鏡が付いてます。
 さて、Gですが、これが今回のレア機種です。一見するとソ連機のような機がしますが違います。この機種は、Fの性能に憧れた国が、Fを真似て設計開発した機種です。あとヒントとしては、主要参戦国の機種ではありません。40機程が生産されて、約半数の機体がドイツ空軍と交戦しています。
 では、答え合わせです。3機種の胴体特徴は、胴体後半が羽布張り構造だという事です。したがって、Eの野暮ったい水冷単発戦闘機は(モランソルニエMS.460)、Fは(  ハリケーン  )、Gはユーゴスラビアの(ロゴザルスキーIK-3)です。実はこのGだけ、カラーリングも国籍マークも本来のままの画像でした。



 
コラム43.直接協同偵察機・司令部偵察機 

 日本陸軍航空隊は、陸上部隊への直接支援に重きを置いている航空部隊で、陸上部隊への直接支援として「軽爆撃機」や「襲撃機」なる任務機種を早くから揃えていました。また、必然的に戦術偵察にも重きを置いているのは当然ですが、偵察任務においても「直接協同偵察機」「司令部偵察機」なる任務機種を開発設計し戦術偵察と戦略偵察をはっきりと任務分けしていて、こと偵察思想的には先進的な航空部隊でした。
 戦術偵察任務としては、キ36九八式直接協同偵察機(連合軍コードネームはアイダ)。立川製作所で開発され1938年には実戦配備されたたこの機体は、前線の地上部隊と緊密に協同しての偵察や観測を行ない、要請があれば機関銃や爆弾を武装して地上攻撃(いわゆる近接航空支援)をも積極的に行う任務を担っていました。スペック的に特に秀でた性能数値を持っていませんでしたが、短距離の離着陸可能で操縦性・低速安定性もよく、エンジン故障が少なく整備も容易だったため、使いやすい万能機として前線の部隊及び陸上部隊からは好評を得ており、1940年に一旦生産を終了したが前線からの要望にて再生産を開始し終戦までに1,333機の総生産となった機体です。
 戦略偵察任務としての「司令部偵察機」(以下「司偵機」と呼ぶ)は、前線の局地的な偵察は「直接協同偵察機」(以下「直協機」と呼ぶ)に任せ、軍団司令部や師団司令部が必要とする大局的な偵察を行なう為のカテゴリーを設定したのが始まりです。この戦略偵察機という任務は後世では当たり前の任務でありますが、当時としては専門の機種を持って強行偵察も可能と目指したのは日本陸軍航空隊だけでありました。その「司偵機」は高速飛行と大きな航続距離を必要とし通信機材の充実も含まれている性能を必要とされ、こうして1936年に初飛行したのがキ15九七式司令部偵察機(コードネームはバブス)です。空冷エンジン(900馬力)で最大速度510km/hを引き出す性能は、同じ年代に開発された九七式戦闘機より50km/hも優速であり、固定脚であるが視界良好なコクピット形状も好評で、中国の国民党軍の米国製やソ連製の戦闘機を振り切り陸軍に多くの情報をもたらしますが、太平洋戦線が勃発するようになるとその速度の優位性が無くなり次第に犠牲が増えた為、強行偵察任務に付く事は無くなっていきました。
 司令部偵察機の有効性を実感した陸軍航空隊は大幅に能力を向上させた後継機を三菱に指示します。そして陸軍の要求する性能水準に苦労しながら完成したのがキ46一〇〇式司令部偵察機(コードネームはダイナ)。ゼロ戦と同じ1940年に採用されたこの機体は、双発空冷エンジン(1080馬力×2)にて速度向上を得るために可能な限り空気抵抗を少なくした断面型を持つ美しいフォルムであり、最高速度604km/h、航続距離2,400km、上昇高度限度が1万mを越える高性能機でありました。主な戦果としては、太平洋戦線勃発前の台湾・フィリピン、マレー半島などに対する高高度隠密偵察。ダーウィン隠密・強行偵察。戦争中期の数次に亘るマーシャル諸島強行偵察、インパール空域への隠密偵察、チッタゴン港強行偵察、沖縄戦における連合軍占領飛行場への強行偵察、陸海軍航空部隊のほぼ全てが引き上げた後のラバウルにて現地将兵の手により残骸をかき集めて再製した1機で強行偵察やキニーネ輸送に活躍従事した飛行第10戦隊第2中隊機などがある。また1945年2月には、北京〜東京間の距離2,250kmを、偏西風の追い風を利用して平均時速700km/hで飛行した記録も保持しています。
 そんな高性能ぶりを発揮した一〇〇式司令部偵察機は、20mm機関砲を搭載に改造され、B-29に対する防空戦闘機としても使われ一定の戦果を挙げました。
 終戦には間に合いませんでしたが、陸軍航空隊は次の後継機として成層圏偵察・爆撃出来る能力を有するキ74遠距離偵察爆撃機をも試作していました(最高速度570km以上、航続距離8,000km以上を予定)。
 第二次世界大戦の中盤以降は、英国ではモスキート、ドイツではAr234ブリッツなどが強行偵察機として就役し、米国ではヒューズXF-11高高度偵察機が開発開始されていましたが、大戦勃発する前から専用機種を配備してしっかりとした強行偵察任務の有効性を捕らえていたのは日本の陸軍航空隊だけでした。
 ちなみに、私の思う日本三大傑作機のひとつが、この一〇〇式司令部偵察機です(あとの2機は零式艦上戦闘機二一型と、二式大艇)。



 
コラム44.影の薄いフランス戦闘機

  さて問題です。第二次大戦機のフランス機で最優秀集戦闘機はどの機種でしょう。実は私もこのコラムを書くまでははっきりと判りませんでした。なんせ、第二次世界大戦序戦でドイツに国内を占領されてしまったのですから。
 まず、機種をエントリーしましょう。モランソルニエMS.406とドボワチンD.520はフランス戦闘機としては有名ですね。あとはマルティンブロックMB.511とMB.152、コードロンCR.714、アルセナルVG.33、この6機種が配備数の大小こそあれ実戦配備されていました。
 という事で性能緒元を作りました。ライバルであったメッサー
  MS.406C-1 D.520 MB.512C-1 C.714 VG.33 Bf109E-3
全 長 8.15m 8.76m 9.10m 8.53m 8.55m 8.80m
全 幅 10.71m 10.18m 10.54m 8.87m 10.80m 9.90m
主翼面積 16.00u 15.97u 15.00u 12.50u 14.70u 16.35u
総重量 2,726kg 2,030kg 2,020kg 1,400kg 2,050kg 2,053kg
エンジン イスパノイザ12Y イスパノイザ12Y ローヌ14N ルノー12Rol イスパノイザ12Y DB601A
馬 力 860馬力 910馬力 1,080馬力 450馬力 860馬力 1,100馬力
最高速度 486km/h 529km/h 515km/h 485km/h 558km/h 555km/h
航続距離 800km 998km 600km 900km 1,200km 655km
上昇限度 9,500m 11,000m 10,000m 9,100m 11,000m 10,300m
武 装 20mm×1
7.5mm×2
20mm×1
7.5mm×4
20mm×2
7.5mm×2
7.5mm×4 20mm×1
7.5mm×4
20mm×2
7.9mm×2
総生産 1,081機 1,082機 600機 90機 48機 1,246機
シュミットBf109E-3を比較対象にしましたが、なんとフランス戦闘機は何れも重戦闘機タイプで翼面積がBf109E-3よりも小さくでビックリでした。あと、戦闘機に関する性能緒元で注意すべき項目は「上昇限度」。この数値はエンジンがアップアップしながらでも飛べる高度なので、戦闘機として機能する高度の上限ではありません。
 モランソルニエMS.406は1938年に量産され第二次世界大戦勃発時の事実上の主力戦闘機。しかし最高速度も遅く運度能力も当時の他機と比べて劣っていて、序戦でのフランス降伏迄にBf109Eとのキルレシオは1対3でした。
 MS.406の後継機として量産を急いでいたのはドボワチンD.520。運動性能がMS.520よりも優れていた(それでもあの垂直尾翼のサイズでは大した性能では無い)が、頑丈さも一定の能力を持っていた事もあり、フランス降伏後もヴェシーフランス空軍や自由フランス空軍の両軍で使用された経歴を持ちます。
 MS.406を補助する形で配備されていたのがマルティンブロックMB.151とMb.152。この2機種は空冷エンジンを使って他の機種の生産を阻害しないと期待されたのだが、エンジン冷却不足や高高度性能が極めて悪かった駄作気味な機種であり、現にBf109Eに最も撃墜された機種でありました。
 コードロンCR.714は木製構造の軽量機で、元々はスポーツ機から改造されたました。450馬力エンジンながらMS.406より優秀な最高速と旋回力を持っていましたが、上昇力が悪く、この機種を鹵獲したドイツ軍は練習機としてでしか使用しなかった機体でありました。エンジンを強化する派生型を望まれていましたが、フランスではそんな時間が与えられずに国土を占領されちゃったんですね。
 アルセナルVG.33は国営アルセナルでいくつか開発された機種のうちの一種で、もたもたした生産のおかげでドイツに占領された時点では5機のみ配備されていた段階であった機種です。国営のクセに危機感が無く量産がおぼつかないのがアルセルナルの特徴です。しかし実機は搭載エンジンが決して高出力では無いのにも関わらず空力特性に優れ、その潜在能力は当時のフランス戦闘機で1の性能でありました。
 このアルセナルVG.33は、派生型の計画が当初よりありました。それが実現してアルセナルVB10として完成したのが戦後の1947年。その設計は、操縦席の後ろにもう1基のエンジンを搭載し、1,500馬力×2の双発エンジンで二重反転ペラ。武装は20mm機関砲×4門と12.7mm機関銃×6基と超強力。ヴェシー政権下でももたもたと開発を行なっていたこの機種は1947年1月にやっと初飛行にこぎ着けた。テスト飛行してみるとまるでダメ。空力設計が古く、主翼も重武装の為に分厚く、搭載エンジンに見合わない低能ぶりで、しかも操縦系統が重く、地上滑走も慣れないと危ない位。間が悪いことに、試作1号機はテスト飛行中に空中火災を起こしてあえなく墜落。続いて二ヵ月後に試作2号機も同様の事故で損失。当然、開発中止となり残った機体は飛行停止処分となりました。
 で、話をまとめますと、フランス機で最優秀戦闘機は、とりあえずアルセナルVG.33かな。
 まあ、しかし空軍も含めて当時のフランス軍てのは、第一次世界大戦終戦してもずっとドイツを敵対視していた割には、戦争に対する危機感が欠けていた感じがするは私だけでしょうか?