第二次世界大戦当時にフィンランドが戦闘した3つの戦争、その一つ目が冬戦争です。1939年11月30日〜1940年3月6日の約4ヶ月間に、スターリン政権下のソ連相手に行なわれた戦争です。1939年8月にソ連はドイツと独ソ不可侵条約を結びます。西側諸国ならびに日本も驚愕させられたこの協定の根本は、ドイツのポーランド侵攻をソ連が黙認し、ポーランド東側を見返りとしてソ連が領するという軍事協定ですが、その付随事項に、「バルト諸国」に対してはソ連が軍事摂取するという事項も含まれていました。
独ソ不可侵条約締結後にポーランド西側へ侵攻したドイツ。そしてソ連はポーランド東側を占領。同時にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)と共に、フィンランドにもカレリア地方及びバルト海沿岸、フィンランド湾の島々の明け渡しを恫喝。バルト三国は当初よりソ連の恫喝に屈指してソ連に組み込まれたが、フィンランドは共産主義の脅威に屈せず、ここに冬戦争が勃発。強大な国土を持つソ連に人口約370万のファインランドが、名将マンネルヘイム元帥率いる国防軍として粘り強い戦いを展開しました。しかしあまりにも違い過ぎる国力でソ連の物量作戦に勝てず、4ヵ月後の講和条約により停戦。フィンランドはカレリア地峡、ラドガカレリア地域、ハンコ半島、スールサーリを含むフィンランド湾諸島の割譲および貸与を余儀無くされましたが、局地的な戦闘そのものはフィンラドが優勢でした。この4ヶ月間、ソ連以外のヨーロッパ諸国は連合軍対枢軸軍による「まやかし戦争」中であり、連合軍側、及び中立国からの義勇兵参加も数少ないながらありました。フィンランドはこの冬戦争での立場は決して連合軍ではありませんが、連合軍の後押しを受けて大国ソ連に立ち向かうという構図でした。
この冬戦争で、奮戦したのは地上軍だけではありません。フィンランド空軍が開戦時に所有してていた戦闘機は、オランダから購入・ライセンス生産したフォッカーD]]Tが36機、イギリス製のブリストル・ブルドッグが10機のみ。その後、イタリアからフィアットG.50が1940年12月、イギリスより翌月にブリストル・グラジェーター、続けてフランス製モランソルニエMs.406が50機、そして3月にはアメリカより待望のブリュースターB239(バッファロー)が1940年3月に届いただけという、何れの機種も満足出来る機数がなく、オマケに機種的にどれも本国では二線級となった旧式戦闘機で、決してソ連相手に満足に戦える状況ではありませんでした。
舐めてかかっていたソ連機は卓越した腕を持ったフィンランド戦闘機に翻弄されます。初期の頃はフォッカーD]]TによってSBやDB-2爆撃機がバタバタと落とされ、中盤以降はフィアットG.50、モランソルニエMC.406も数に加わりI-153やI-16を撃墜してゆきます。ブリュースターB-239が登場する頃には続々とファインランド空軍エースが生まれました。冬戦争が終結した1940年3月6日の時点でフィンランド戦闘機が撃墜したソ連軍機は521機だったと記録されている。そして、1年3ヵ月後に「継続戦争」で再びソ連との戦争へ突入してゆきます。 |