1943年6月1日の夜、ドイツ国内のデュッセルドルフに夜間爆撃を敢行した英国空軍ランカスター重爆撃機編隊は、上空で未知のドイツ戦闘機に襲われ、ほうほうの体で戦場離脱しなければ行けない状況だった。いままで夜間迎撃に上がって来ていたメッサーシュミットBf110G-4とは明らかに異なり、いきなり捕捉されて一気に5機のランカスター撃墜されたのだ。
その正体は、He219A-0というハインケル社のプロトタイプ(先行量産)夜間戦闘機であった。その後、He219A-0、同A-2、同A-2/R1のプロトタイプ混成部隊は10日間の夜間迎撃で英軍機20機撃墜。撃墜されたのはランカスター重爆撃機だけでなく、モスキート夜間夜間戦闘機が6機も含まれていて、迎撃側は被害0機と言うから驚きです。
華々しいデビューを飾ったHe219。非公式愛称はウーフー(ミミズクの意味)。原型一号He219V1は1942年に初飛行を行って最大時速615km/hを記録しているし、武装も強力な組合わせが用意されいて、機上レーダーも申し分のない性能だ。しかし、このHe219ウーフー、プロトタイプ先行量産型を合わせてA-7型まで約300機完成していたのにも関わらず実戦で出撃したのは短期間だけ。あっという間に戦場からその姿を消しました。
新たに夜間迎撃機として採用されて多数が就役したのは、双発爆撃機Ju88を夜間迎撃に改造したもの(Ju88C-6、Ju88G)で、特に秀でた性能を持っていない凡庸機って感じの機体。
「なぜなんだぁ〜」と誰しも思う。いろんな説があるので紹介して考察してみよう。
ハインケル社がナチス党に嫌われていた説。確かに社長のエルンスト・ハインケル博士は反ナチス思想ですからナチス党幹部の一部からは嫌われていたでしょう。ウーフーの実戦配備が短かった事より以前にも、自社自慢のHe112が主力戦闘機選考でBf109に負けちゃった事もあわさって、嫌われているのが軍用機採用に多分に影響しているという説です。でもさ、双発爆撃機He111は初期〜中期のドイツ爆撃隊主力機であったし、四発重爆撃機He177は完成を首を長くして待ち望まれた機体、ジェット戦闘機He162なんて「国民戦闘機」という位置づけで大急ぎで部隊配備されています。実際にナチス党の幹部でもあるゲーリングなんてHe219ウーフーの生産促進を命じています。ということは、嫌われていても、軍にとって有益な機体はちゃんと戦力化していく方針はあったと思われます。実情的には、ハインケルには戦闘機じゃなくて爆撃機に力を入れて欲しかったらしく、この点についてはかなり信憑性がありました。
第二の説は、それほど高性能では無かったという説。確かに当時のドイツ機のスペックはけっこう希望的数値がどうどうと公開されていたりしました。「最高速度は約30%割引いて見ると良い」とまで言われています。そうして見るとHe219ウーフーの量産型の最高速度は550km/hそこそこでしょうか?モスキート夜間戦闘機型と比べると確かに遅いです。でも、夜間迎撃は特殊な戦闘です。このコラムの冒頭で書いた戦果は、デビュー戦であったとしても10日間であの戦果は相当な戦力を持っていたしか判断できませんよね。後継機になったJu88夜間迎撃機はそんなすごい成果をあげてませんし、やっぱ少々スペックは疑わしいが当時、夜間迎撃に抜群の性能を持っていたと考えるべきが自然だと思います。
では、部隊配備がなぜ短かったのでしょう。いろいろ調べて私なりの結論は、「量産に向いておらず特殊機過ぎた」です。搭載エンジンについては一貫して空冷エンジンを用いてますが実際に搭載したかった液冷エンジンは開発中止にになっています。最終的にはジェット化を目指していたようです。まだまだ量産に向かない箇所があります。機上レーダーとコクピット配置が夜間視界を確保するためにかなり前に位置しています。機体の重心は胴体と主翼の接合部分辺りでしょうから、かなり飛行バランスが微妙だったでしょう。これは生産時にもボトルネックです。ちょっとしたボディウエイトの誤差が飛行性能にモロに響きます。このウエイト配置はパイロットの気圧負荷は相当なものだった伺えます。排気タービン装置もかなり苦労した事が伺えます。要するに多分に実験機的な機体だったので生産が思うように計画立てて行なえず、量産が楽なJu88夜間迎撃迎撃タイプに負けちゃったって事ですね。本土を爆撃される事が日増しに多くなってきた時期ですから、やっぱ迎撃機は量産性能が重要だったんですね。 |