「ヘタリア」とは、第二次世界大戦におけるイタリア軍の惰弱さを評して「へたれなイタリア」の意で用いられたのを発祥とする言葉。現在ではそのヘタレなイタイアを主人公として、「Axis powers ヘタリア」という国を擬人化したWebコミックで一躍有名な言葉となりました。 ドイツ人が「次はイタリア抜きでやろうぜー」と日本人に言ったという比喩があるように、本当にイタリアはそんなに弱かったのか?第一次世界大戦以降、国を挙げての軍事では本当に弱かったです。弱かっただけで無く、ドイツ軍の足を引っ張りまくりました。 ヘタリアの原因は良く言われるのが、国民性です。イタリア青年男子は旨い物を食って好い女を抱き、個人の英雄欲は強いが組織だった行動は不向き、辛い事は他の誰かがやれば良い、ってな感じです。ということで第二次世界大戦での戦跡を挙げてみましょう。 1940年6月、英・仏に宣戦布告。ムッソリーノが同じファイズム政権であるドイツの快進撃に刺激され、ドイツに続けとばかり慌てて参戦したものだから、戦争に必要な軍事物資も作戦計画も無く、自らが宣戦したにもかかわらず、10日間ほどは何の軍事行動も取れない。軍事物資を集積させるべきイタリア船籍の船舶は世界中に散らばっていて、宣戦布告して間もないうちにほとんどが連合軍側に拿捕されたヘタレぶり。そして、ドイツ軍に蹂躙され降伏寸前の弱っているフランスに南部国境から侵攻するも逆に反撃を受け崩壊寸前、ドイツがフランスを降伏に追い込むのがもう少し遅ければ、イタリア領内に逆侵攻されるところだった。 同年10月、21個師団にてギリシアに侵攻。しかし13個師団のギリシア軍に反撃されアルバニアに押し戻され崩壊寸前。この侵攻がきっかけで元々ドイツ贔屓だったギリシアは連合国側へついてしまう事になる。 ギリシアで懲りたのにも関わらず、再びドイツを出し抜く形でエジプトへ7個師団で侵攻。そしてイギリス軍2個師団の反撃を受け敗走し、なんと13万人も捕虜となるヘタレぶり。 同月、イギリス海軍の空母アークロイヤルから発進した旧式複葉機ソードフィッシュ21機によって、イタリア国内のタラント軍港が空襲を受ける。戦艦コンテ・ディ・カブールは大破着底、戦艦リットリオ、及びカイオ・デュリオも中破。イギリスの損害は2機のみ。(ちなみに戦艦ローマはこの時タラントに居てません)。 同年12月、イタリアのエジプト失態を尻拭いする必要からドイツがロンメル将軍率いるアフリカ軍団を派遣し、長くつらい北アフリカ戦線が本格派する。 1941年3月、マパタン岬沖でイギリス艦隊と交戦。イタリア艦隊は3隻の重巡を失うが、イギリス側は被害なし。 1942年、東部戦線にドイツの応援としてイタリア第8軍が派遣されるが、ドン河畔でソ連軍の攻撃をうけ、即座にすべての兵器を放棄して遁走。このイタリア第8軍の敗走により防御ライン全体が崩れてドイツ軍も撤退を余儀なくされる。 こんな感じでその後もドイツ軍に援護してもらいながらも、シチリア島上陸作戦でシチリア島と失い、1943年9月3日の連合軍のイタリア半島上陸からたった5日後の9月8日イタリア王国降伏。ムッソリーニを投獄したイタリア政府は、イタリア南部に親英米で連合軍側としてドイツに宣戦布告したバドリオ政府と、イタリア北部の山岳地帯でドイツ傀儡化のサロ政権に分裂しダラダラと内戦を行ない終戦を迎える。 その間、イタリア空軍はなにをしていたか?「ギリシア戦線ではサボイヤマルケッティSM79で連日の爆撃を繰り返し」「北アフリカではフィアットCR.42やマッキMC.202が、連合軍のハリケーンやP-40ウォホークを追い回し」ってな事は全くありません。というか、常に後手の出撃で、しかも少数出撃ばかりですぐに撤退。組織だった航空作戦はほとんど皆無でしたとさ。 |
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コラム12.HISで何故か出てこない名機、そして、雷撃させてくれ〜