コラム9.枢軸軍にとって「死神のごとくな機銃」だった名作
 このコラムの題名だけを読んで、ブローニングM2重機関銃の事だとピンと来た人は松本零士氏の「コクピット」というマンガのファン。そう、私もそうです。このブローニングM2機銃、1933年に米軍に採用された12.7mm空冷機関銃で第二次世界大戦時には、三脚を付けて歩兵部隊の地上戦機銃として配備されただけでなく、戦車、装甲車、ジープ等の車載用銃架、連装式にされた各種対空機銃架など、様々な銃架に載せられ陸・海・空軍を問わず広く配備されていた。その特徴は、発射速度が早く、低弾道に優れており大量生産・運用にも高い合理性があった。軍用機搭載という点では弾薬携行性にも優れていた。
 もちろん多数の軍用機にも搭載されており、戦闘機には機首内や翼内に装備。攻撃機には重量の加減で後方旋回機銃は7.7mm機銃を使用していますが、翼内の機銃はこの12.7mm機銃を搭載しています。爆撃機にはこの機銃を連装砲塔にしての使用が基本仕様でありました。具体的には、戦闘機ではF4FワイルドキャットやF6Fヘルキャット、P-40ウォホーク、P-51Dマスタングにおける主力量産型は全6基の固定火気を全てブローニングM2。陸軍機P-38ライトニングでは37mm機関砲1基とブローニングM2を4基の併用。P-47Dサンダーボルトではなんと8基。双発爆撃機のB-25ミッチェルやB-26マローダで12基。B-17Eフライングフォートレスでは合計13基もこの機銃を積んでます。したがってこの機銃に打ち落とされた日本軍機やドイツ軍機が多いのは間違い無いです。
 日本軍でもブローニングM2を羨望し、何種かの13mm機関銃を開発生産してますが、もちろんブローニングM2のトータル性能を上回る事は出来るはずがありませんでした。
 一発の破壊力は、20mm機関砲や30mm機関砲に劣るが、ブローニングM2機関銃の発射速度と照準の合わせ易さの利点は揺るがず、機銃搭載数を増やして銃火を束にする事で威力不足をカバーする考え方を第二次世界大戦中を米軍機は一貫して通した。ブローニングM2を搭載機銃として通せたのは、米軍が敵重爆撃機の空襲にさらされるケースが無かったのも要因である。逆に、日本やドイツは敵重爆撃機の迎撃が主要な任務となってしまった第二次世界大戦中・後期は威力重視の大口径機関砲搭載が必要となったのである。
 しかもすごいのは、このブローニングM2。アメリカではその後継となるXM806の開発が進んでいますが、幾度かのバージョンアップはしながら現在でもまだ現役の重機関銃なのである。さすがに主力軍用機のメイン固定火器としては20mm機関砲を束にしたガドリング砲となっています。
 日本でも戦後、住友重機械工業がライセンス生産して、自衛隊で「12.7mm重機関銃M2」という名称で採用されています。

 
  
 
コラム10.一撃離脱のうるさい蝿だ。ポリカルポフI-16

 独ソ戦の前半、ドイツ戦闘機Bf109F・G型やFw190A-4・A-6型にバッタバッタと叩き落とされたソ連のポリカルポフI-16戦闘機。極東地域でも日本の九六式艦戦や九七式戦闘機に苦戦を強いられたし、1940年9月の中国の空ではゼロ戦デビューに際し完膚なきまで叩き潰されています。しかし、このソ連製戦闘機、実はれっきとした名戦闘機なのです。原型機の初飛行がなんと1932年。1935年に部隊配備がほぼ完了、独ソ戦が始まったのが1941年末で、1943年中頃に前線から退役が始まる迄、常にソ連空軍の主力戦闘機として戦い続けたのだ。ヨーロッパ各地で軍事衝突が相次ぎ、周りの各国が第二次世界大戦に突入しくという時期ですよ、この頃。
 1935年には量産体制が整いソ連空軍主力戦闘機として部隊配備していたということは、英国のブルルドッグやドイツHe51にちょっとだけ後輩、英国のグラジェータや日本の九五式戦闘機と同級生って感じだ。メッサーシュミットBf109初期型やハリケーンMkT、カーチスP-36ホークがより数年早生まれになる。ゼロ戦11型やBf109Gに至ってはほぼ7年も実戦配備が離れているので小学校で顔を合わさないって事になる。、ちょうど軍用機が劇的なスピードで進化していったこの時期において、1939〜41年の他国主力戦闘機相手はまともに勝てる相手で無かったのは当然の事でした。
 I-16は、ソ連のポリカルポフ設計局により開発設計された世界初の単葉引込み脚戦闘機であり、その試作完成は1932年。同じポリカルポフ設計局のI-15に引き続いての設計となり、I-15が複葉にて軽快な運動性を追及されたのに対し、I-16は速度と重火力をもって一撃離脱を得意する当時としては画期的な単葉重戦闘機であった。全長がわずか6mにやや大ぶりのシュベツォフM-62空冷星形9気筒1000馬力エンジン、胴体構造は木製モノコック、翼は当初羽布張りでせいぜいエンジンカウリングが金属という従来の構造を脱皮していなかったこの機体。非常に操縦が難しかったらしいが、その一撃離脱性能は欠点を補って余りあるものだった。寸胴なフォルムとうるさいいエンジン音からモスカ(ハエ)、ラタ(ネズミ)などと敵から忌み嫌われ、実戦デビューとなったスペイン内戦では共和国軍の戦闘機としてハインケルHe51やフィアットCR.32の西側諸国戦闘機を圧倒して見せたのだ。当時最新鋭機として遅れて実戦デビューしてきたメッサーシュミットBf109初期型(B-1型等)とも互角以上の戦いを見せた。大いなる実力を見せたI-16はエンジン・火力を中心に改良型が続々と生産(20mm機関砲は驚くことに初期から搭載していた)され、I-15系戦闘機をサブ機として従えたトップクラスの戦闘機であり続けた。しかしこの事がソ連空軍のI-16に続く新型機登場を遅らせる事となってしまい、独ソ戦が開戦した時点で、I-16にいまだソ連の主力戦闘機であったのである。この点は、後の日本海軍がゼロ戦に長く頼りすぎて後継機開発が遅れた現象と良く似ている。I-16は冬戦争の期間に一旦生産を中止するも、独ソ戦が開戦すると慌てて生産を再開しているほどである。その時期のソ連空軍苦悩はコラム第1章に掲載した通りである。Yak-1やLaGG-3が量産化され1943年中頃まで、I-16がドイツ空軍の矢面になって頑張らなくてはいけない状況だったのである。ゼロ戦のデビューでパーフェクト試合の相手となったイメージがあまりにも強い日本でも、もっとと評価されても良い機体である。



 
コラム11.ヘタリア 

 「ヘタリア」とは、第二次世界大戦におけるイタリア軍の惰弱さを評して「へたれなイタリア」の意で用いられたのを発祥とする言葉。現在ではそのヘタレなイタイアを主人公として、「Axis powers ヘタリア」という国を擬人化したWebコミックで一躍有名な言葉となりました。
 ドイツ人が「次はイタリア抜きでやろうぜー」と日本人に言ったという比喩があるように、本当にイタリアはそんなに弱かったのか?第一次世界大戦以降、国を挙げての軍事では本当に弱かったです。弱かっただけで無く、ドイツ軍の足を引っ張りまくりました。
 ヘタリアの原因は良く言われるのが、国民性です。イタリア青年男子は旨い物を食って好い女を抱き、個人の英雄欲は強いが組織だった行動は不向き、辛い事は他の誰かがやれば良い、ってな感じです。ということで第二次世界大戦での戦跡を挙げてみましょう。
 1940年6月、英・仏に宣戦布告。ムッソリーノが同じファイズム政権であるドイツの快進撃に刺激され、ドイツに続けとばかり慌てて参戦したものだから、戦争に必要な軍事物資も作戦計画も無く、自らが宣戦したにもかかわらず、10日間ほどは何の軍事行動も取れない。軍事物資を集積させるべきイタリア船籍の船舶は世界中に散らばっていて、宣戦布告して間もないうちにほとんどが連合軍側に拿捕されたヘタレぶり。そして、ドイツ軍に蹂躙され降伏寸前の弱っているフランスに南部国境から侵攻するも逆に反撃を受け崩壊寸前、ドイツがフランスを降伏に追い込むのがもう少し遅ければ、イタリア領内に逆侵攻されるところだった。
 同年10月、21個師団にてギリシアに侵攻。しかし13個師団のギリシア軍に反撃されアルバニアに押し戻され崩壊寸前。この侵攻がきっかけで元々ドイツ贔屓だったギリシアは連合国側へついてしまう事になる。
 ギリシアで懲りたのにも関わらず、再びドイツを出し抜く形でエジプトへ7個師団で侵攻。そしてイギリス軍2個師団の反撃を受け敗走し、なんと13万人も捕虜となるヘタレぶり。
 同月、イギリス海軍の空母アークロイヤルから発進した旧式複葉機ソードフィッシュ21機によって、イタリア国内のタラント軍港が空襲を受ける。戦艦コンテ・ディ・カブールは大破着底、戦艦リットリオ、及びカイオ・デュリオも中破。イギリスの損害は2機のみ。(ちなみに戦艦ローマはこの時タラントに居てません)。
 同年12月、イタリアのエジプト失態を尻拭いする必要からドイツがロンメル将軍率いるアフリカ軍団を派遣し、長くつらい北アフリカ戦線が本格派する。 
 1941年3月、マパタン岬沖でイギリス艦隊と交戦。イタリア艦隊は3隻の重巡を失うが、イギリス側は被害なし。
 1942年、東部戦線にドイツの応援としてイタリア第8軍が派遣されるが、ドン河畔でソ連軍の攻撃をうけ、即座にすべての兵器を放棄して遁走。このイタリア第8軍の敗走により防御ライン全体が崩れてドイツ軍も撤退を余儀なくされる。
 こんな感じでその後もドイツ軍に援護してもらいながらも、シチリア島上陸作戦でシチリア島と失い、1943年9月3日の連合軍のイタリア半島上陸からたった5日後の9月8日イタリア王国降伏。ムッソリーニを投獄したイタリア政府は、イタリア南部に親英米で連合軍側としてドイツに宣戦布告したバドリオ政府と、イタリア北部の山岳地帯でドイツ傀儡化のサロ政権に分裂しダラダラと内戦を行ない終戦を迎える。
 その間、イタリア空軍はなにをしていたか?「ギリシア戦線ではサボイヤマルケッティSM79で連日の爆撃を繰り返し」「北アフリカではフィアットCR.42やマッキMC.202が、連合軍のハリケーンやP-40ウォホークを追い回し」ってな事は全くありません。というか、常に後手の出撃で、しかも少数出撃ばかりですぐに撤退。組織だった航空作戦はほとんど皆無でしたとさ。



 
コラム12.HISで何故か出てこない名機、そして、雷撃させてくれ〜

 ポリカルポフK-21という超ゲテモノマイナー機まで登場しているHIS(ヒーローインザスカイ)。でもその反面、何故か登場していない有名な名機がけっこうある。その1種としては雷撃機。これは当初、私は「雷撃」なる戦法がアップデートで出来るようになるって信じていた。NPCの敵の動きではちゃんと雷撃行為があるのにです。でも2周年を越えた今も、雷撃という攻撃方法は登場せず、97式艦上爆撃機、天山、流星改、フェアリー・ソードフィッシュ等は登場しているが、魚雷という武器アイテムが存在しないのでただの爆撃機だ。
 登場すらしていない有名な雷撃機は、米海軍機ならTBDデバステーター、TBFアベンジャー。英海軍機ならフェアリー・アルバコア、フェアリーバラクーダ、ブリストル・ボーフォート。ドイツならFi167(ちょっとマイナーかな)。
 IL-2シュトルモビクというフライトシュミレーションゲームでは雷撃攻撃が出来ます。激しく対空砲火を撃ってくる空母に超低空で突進していって魚雷投下するのはスリル満天です。魚雷投下したあと後ろを振り返って魚雷が当たったかどうか、ワクワクするので大好きで自作のミッションとかで雷撃隊などを作って良く遊びました。但し、単機で空母に突っ込むとかならず対空砲火の餌食になりますし、航行中の空母に魚雷をぶち当てるのはかなり難しいんですよね。大体、真横から雷撃を行なう場合、1000m以上離れて魚雷発射しても90%は外れました。
 そうそう、フェアリー・アルバコアって、フェアリー・ソードフィッシュの後継機として登場した雷撃機なんだけど、搭乗員の評判も実際の性能も悪くて、ソードフィッシュより早く、そそくさと退役した哀れな機体なんですよね。
 話は戻って、あと雷撃機以外でHISに登場していない有名機では、双発軽爆撃機A-20ハボック(ダグラス・ボストン)。双発中爆撃機B-26マローダ。四発重爆撃機B-32ドミネーター。英国の高高度戦闘機ホワールウィンド。ソ連のMiG-1、MiG-3も無いですね。フォッケウルフのTa152Hやスーパーマリン・スパイトフルは、高レベル用の機体として温存されてそうですね。
 A-20ハボックなんて第二次世界大戦では現役バリバリの万能爆撃機。同じくIL-2シュトルモビクゲームでは爆弾投下したあと戦闘機相手にドッグファイト出来るので操縦するの大好きです。HISってよく出来たゲームですけど、爆弾など搭載重量が飛行性能にまったく反映していないからなのでしょうが、爆撃機が強すぎますよね。
 降下や上昇による引力差も発生していない、どの機体でも急降下出来ちゃう、全機に最新テクノロジー的な自動操縦装置が付いているのかして、スロールも起こさなければ、もともと揚力剥離という概念が無い。ま、そうこう言っても、現物に近づけすぎちゃうと「楽しめない」ってなっちゃうから、自分のキャラのレベルを上げていくというゲームならこんなもんかな。
 まだちょっとコラムのスペースがありそうなので、HISで登場してて、結構マイナーだけど私が好きな機体を挙げてみます。
 実戦配備機としては、デファイアント。あのお間抜け戦闘機は愛嬌があります。ドイツならHe291ウーフーやAr 234ブリッツ、Ju188。日本なら陸軍機の五式戦闘機や一〇〇式司偵。海軍機なら晴嵐。他には、Yak-3なんて隠れた名機ですよね。あと、サボイヤマルケッティSM.79なんてその外見がそそります
 未完成機ではフォッケウルフのTa183フォッケバイン、ヘンシェルのHsP.75などですね。あ、この2機はまだHISで登場して無かったですね。