コラム17.日本軍戦闘機の実戦配備順列を見てみよう
 日本の海・陸軍戦闘機の実戦配備年表を作ってみました。
 海軍は九六式艦上戦闘機によって世界水準の戦闘機を所持する事になりました。そして戦時中は常にゼロ戦が主力を勤めており、優れた旋回性能と航続距離を持って無敵を誇った21型、エンジンを少し馬力UPさせて翼端を削った形態の32型、32型で不満があった航続距離を元に戻す形となった22型。さらに速度を中心に大改良した52型と続きます。また、序戦では他国では例を見ない水上戦闘機が島嶼戦で活躍するという地勢もありました。ミッドウェイ海戦で主力空母四隻を失ってから、徐々に守勢に入り局地戦闘機(迎撃戦闘機)の重要性が高まり、三菱の雷電と、川西の紫電・紫電改の2系列を重点配備して行くことになります。月光は元々1942年に二式陸上偵察機として採用されていましたが、操縦席後方に斜め銃を装備した事により夜間戦闘機として再配備された機種でありました。
 海軍の戦闘機総計は単純計算すると14,255機。その内なんとゼロ戦系列だけで10,430機。いかにゼロ戦に頼っていたかが判りますし、ゼロ戦の後継機である烈風の登場が遅かったのが如実に現れています。震電や橘花などは試作だけで終わりましたので表記していません。

 陸軍は軽快な運動能力を持った九七式戦闘機で海軍の制空力に追いつきます。第二次世界大戦では海軍とちがって隼、鐘馗、飛燕、疾風、五式戦と毎年コンスタントに主力戦闘機を配備していけました。隼についてはその運動能力が捨てがたく、武装及び装甲を強化する事によってほぼ終戦まで活躍させています。但し、鐘馗は日本唯一の重戦闘機でありましたが、その性能がうまく機能しだしたのはB29への防空戦になってからでした。飛燕及び疾風は優れた才能を持つ機体ではありましたが、デリケートなエンジンが前線での運用では能力発揮出来ない結果となりました。屠龍は使い物にならない長距離護衛戦闘機であったものが、海軍の月光と同じく、斜め銃搭載で夜間戦闘機・防空戦闘機として開花した機種となりました。火龍やキ87は完成していませんから表記していません。
 陸軍戦闘機総計を単純計算すると19,100機。海軍より制空力を持っていたように見えます。しかし、この表では現れていませんが、陸軍航空隊の単座パイロットは天測を使っての航法が出来ない為、海上途上作戦が出来ないだけでなく、例えば上海から台湾への戦闘機部隊の移動も船舶移動が必要な程でありました。この航法教育の欠点は最後まで是正される事がありませんでした。

 
  
 
コラム18.英国戦闘機の実戦配備順列は書けるかな?

  日本軍戦闘機と年代を比較する為にも英国戦闘機を書いてみたが派生型も多く、やたら機種も多いのでウェストランド・ウィルキンやブラックバーン・ロック等の直ぐに偵察機や標的曳航機に格下げされた機種は省きました。

 空軍を見ると、やはり第二次世界大戦はスピットファイアを一貫として主力の制空戦闘機として使用しているのが判りますが、ゼロ戦と違ってその強化派生型が常に頼りになる性能でした。日本機と年代を比べてみると、Mk1がゼロ戦21型とほぼ同期、Mk5が隼1型と同期って感じです。Mk14となると2,000馬力のグリフォンエンジンを搭載しており、同期のゼロ戦52型と雲泥の差が生じています。
 あと目立つのはハリケーンの実戦配備の早さで、九七式戦闘機より早く就役していますし、1939年まで唯一の戦闘機として使われていながら、バトルオブブリテンでは目立たなかったがしっかりとスピットファイアを補佐しています。そんなハリーケーンはさすがにMk2から戦闘爆撃任務がメインになりました。
 タイフーンは開発当初から戦闘爆撃任務の機体で色々と欠点がありながらもテンペストが配備されるまで頑張った気がします。デファイアントは当サイトで何度も話題にしている機体。ホワールウィンドは高高度迎撃専用機として就役し、その性能は悪くは無かったですが当時は高高度迎撃する相手いませんでした。ボーファイターは戦闘機としては地味ながらその多用途性を活かして戦闘爆撃、雷撃、威力偵察もこなす隠れた名機でありました。
 モスキートは本来は偵察・攻撃機でありながら、優れた速度と航続力を活かし夜間レーダーを搭載して、夜間爆撃の護衛戦闘機バージョンが開発されて立派に役目を果たしていました。目視だけに頼って夜間迎撃した月光や屠龍とは大違いです。
 ミーティアは、ドイツのジェット戦闘機Me262に遅れることわずか数週間で実戦配備された実用ジェット機ですが、当時のミーティアはたいした性能では無く、V1ロケット迎撃任務ぐらいにしか使用されませんでした。
 海軍を見てみると、あまり性能がパッとした艦上戦闘機がありません。海軍もそれが判っているのでフェアリー社やブラックバーン社の機体だけでなく、ハリケーンやスピットファイアを艦上機型に改造したり、米海軍機を採用する事で戦力をしのいでいます。こと艦載機だけに絞って日本海軍機と比べるとしょぼい英国艦載機でありますが、主目的が船団防衛だったのだから、こんなもんかなって感じがします。
 黄色ラベルの機種は米軍機からの採用を示しており、キティホーク(P40ウォホーク)は北アフリカ戦線で戦闘爆撃機として重宝され、ムスタングはノルマンディ上陸戦などで防空任務に就きました。海軍ではマートレット(F4Fワイルドキャット)がフェアリー・フルマーやシーハリケーンの力不足をカバーしていました。この他にも、エアラコブラ、ライトニング、サンダーボルト、ヘルキャットも配備していましたが、少数であり目だった活躍が無かったので省きました。
 こうやって標準化した表形式にしてみると、多国間の比較がしやすく、新たに感じる事が多かったです。ドイツやイタリア、ソ連も書けるかなぁ〜。



 
コラム19.イタリア・フランスの戦闘機実戦配備順列作ったぞ〜 

 イタリア軍戦闘機の実戦配備順列を作りました(左側の茶色矢印がイタリア機)。右側が余ったのでついでにフランス軍戦闘機も(灰色矢印)。

 イタリアの戦闘機は、フィアット社、マッキ社、レッジアーネ社の3社でカバーしあってその年代によって主力となる制空戦闘が変わって来ていましたが、まあ、どれもエンジンに悩まされて、ドイツのダイムラーベンツのエンジン技術を得たファイブトリオシリーズ(G.55、MC.205、Re.2005)にてやっと英国戦闘機と戦える性能を持ちましたが、制空争いをする時間も無くイタリア降伏を迎えます。私的にはMC.202フォルゴーレがイタリアなりに良く頑張った戦闘機だったと思います。
 しかし、この図を作って判った事ですが、1938年に3社の新型戦闘機が揃って部隊配備されたのに、なぜ1940年の時点で複葉のCR.42を必要としたのか?また、CR.42はCR.32発展型であるのに愛称が違うのがまだ良いが、なぜRe.2000と同じ愛称なのか?謎の多いCR.42である。
 Re.2001CNだけツリーが独立しているのは夜間戦闘機として派生したからであり、もちろんあまりその任務に活躍出来ていません。IMAS Ro.44は、いちよ名ばかりの水上戦闘機でした。IMAS Ro.57は、1938年から試作を放置していた双発戦闘機で、敗戦間近になって慌てて防空戦闘機として量産したという変わり者です。このIMAS社の2機も全く役に立ちませんでした。
 ファイブシリーズの3機種はイタリア降伏後に白抜き矢印が表示されてますが、これは北イタリアでドイツ軍が没収して使用した為です。尚、MC.205については南イタリアの臨時政府も連合軍側として少数機を使っていました。
 フランス軍戦闘機をみると、ドイツの再軍備宣言から慌ててモランソルニエMS406、ドボワチンD.520、マルティンボッシュMB151、MB152を配備しましたが、ドイツの電撃戦に蹂躙されています。ドイツ占領後では、南フランスでヴィシー政府(ドイツの傀儡政権)がドボワチンD.520を戦闘機として使用しました(灰色白抜き期間)。
 1943年の連合軍によるフランス開放後には、再びD.520の残機を戦闘機として再利用しています。まあ、フランス開放の象徴として使ったらしく、戦力としては期待出来るはず無いです。



 
コラム20.高射砲って?対空機関銃砲とどうちがうの?

 現在の英語圏では「Anti Aircraft Gun」と呼ばれ、日本語に解釈すると「対空砲」となり高射砲も対空機関銃・砲も含まれている意味合いが強いが、ミサイル万能の時代になるまでは、高射砲とは「50mmを越える口径の炸裂弾を敵機に向けて上空に撃ち出せる砲」と言うのが定義。対空機関銃砲とは、40mmまでの口径の貫通弾を上空に撃ち出せる機関銃・機関砲という事になります。
 そう、高射砲の最大の特徴は炸裂弾を使う事です。上空を高速移動する敵機に向けて放ち、信管によって砲弾を炸裂させて付近の敵機破壊を狙う仕組みです。第二次世界大戦時にて使用されていたものは時限信管と呼ばれるもので、発射前に砲弾炸裂高度をタイマーセットする方式で、敵機の飛行高度を予め予測する事が重要でした。そのため、高角砲射撃は対空指揮者の経験と腕が成果を大きく左右しました。
 尚、第二次世界大戦においても例外的に米国では1944年6月マリアナ海戦の軍艦高射砲にて世界初の近接信管(VT信管)を使用して日本海軍機を迎撃し、3インチ(7.7mm)弾でも21m以内で炸裂させるという高い対空迎撃率を発揮しました。このマリアナ海戦以後、日本軍機の艦船攻撃は劇的に損害を被る事になりました。
 アメリカ軍艦の特殊な場合を除いて、第二次世界大戦時は時限信管の高射砲と対空機銃・砲でしたから、高速で三次元移動している相手に撃墜を望むのは数を撃っての公算迎撃なのです。また砲弾重量の加減で口径が大きくなるほど装填時間がかかり発射速度が遅くなりますし、逆に口径が小さいほど発射速度が速くなるが威力不足となる特性があります。そこで高射砲とともに防空を担うのが対空機関銃・砲です。特に低空から高速進入していくる敵機の迎撃は時限式高射砲弾は不利で、それをカバーするのには対空機関銃・砲の連射の効く貫通弾が有利です。したがって、重要防衛地点を対空防御するには、複数種の高射砲と対空機銃・砲を並べまくるしか防衛方法が無かったのです。もちろんその対空砲陣地と、味方戦闘機のエアカバーとセットで防衛するが一番なのは言うまでもありません。
 当時、高射砲として高名なの物は、ドイツが誇った88mm高射砲です。この砲は北アフリカ戦線でロンメル将軍が対戦車砲として大戦果を挙げていますし、タイガーT型やパンターなどの戦車砲としても搭載されています。もちろん、高射砲としても88mm弾は強烈で、うまく当たれば英米の四発重爆撃機を一撃で仕留める威力を持っていました。
 ソ連軍もK-52という85mm弾、M1938という76mm弾を打ち出す2種類の大口径砲高射砲を好んで使用しており、T-34戦車の戦車砲にも使用していました。但し、ドイツの88mm高射砲ほど射程高度が高く無かったそうです。
 アメリカ軍では逆にあまり大きな口径を好まず、地上防衛では小口径高射砲を好んで使用していました。但し、艦隊防衛ではMk12ー5インチ砲という12.7cm砲弾を使用する高射砲を艦載砲塔として多量に装備するシステムを取り、先に述べたように近接信管もこの砲塔がメインで使われました。しかも防空巡洋艦アトランタ級では排水量6,000トンの軽巡洋艦ながら、このMk12-5インチ砲を16門も備えている強力な防空力を持っていました。
 日本では、海軍が艦船の両用砲として多用した長10サンチ高角砲塔が有名です。防空駆逐艦秋月型ではこの高角砲を両用砲として8門備えて非常にバランスの良い艦でした。また、戦艦や巡洋艦の46cm〜12cm主砲に、三式弾という時限信管付き焼夷散弾で敵機迎撃する特殊砲弾も所持していました。一種のクラスター弾でしたが、見た目の派手さほど破壊範囲が広くなく、大口径弾になるほど発射速度が遅くて、一番の強敵である艦上雷撃機・個運上攻撃機を効果的に迎撃出来ませんでした。
 英国ではあまり高名な高射砲は当時存在しませんでしたが、その代わり、連射速度の速いボフォース機関砲(40mm)という非常に強力な対空機関砲を多用していました。
 こうやって考察してみると、現在の防空システムは自動発射や追尾機能、人工衛星警戒などが発展しすぎて、なんだか味気ない気がするのは私だけでしょうか?