コラム21.ついにアメリカ陸軍航空隊の戦闘機実戦配備図だ〜
 
 やっぱり米軍の戦闘機実戦配備図があると他国機と比較しやすいはずだ。で、描いてみたら、陸軍機だけでスペースが一杯になちゃったぁ〜。米海軍機はどうしよう?しかも、米陸軍の戦闘機はパシュータと言ってPから始まる機種名は、Pと数字の間に - (ハイフォン)があるのですが横スペースの都合で省いちゃいました。

 気を取り直して、米陸軍航空隊の戦闘機を見ていきましょう。まず、年代と全体の配備状況を考察すると、ヨーロッパがきな臭くなって来た1936年からの3年間はP-36ホークとセバスキーP-35というショボイ機体しか配備していません。
 第二次世界大戦の勃発となったドイツ軍のポーランド侵攻で英・仏がドイツに宣戦布告した時点では、米国は中立国という立場ながら、P40ウォーホーク、P-38ライトニングを急ぎ配備していきます。また、英国及び英連邦諸国向けにも同機種を輸出向けに量産しています。結果的に未成熟なP-38ライトニング初期型は輸出を見送り、P-40ウォーホークを英国を始めとする英連邦諸国にレンドリースという形で輸出し、その傍ら、太平洋岸の防衛力強化を目的としてハワイやフィリピン、オーストラリア方面へP-40ウォホークとP-39エアラコブラを現地配備していました。結果的に、日本海軍の真珠湾攻撃・フィリピン攻略作戦によって、ゼロ戦21型や隼1型という敵戦闘機相手にこの2機種は全く敵わず、現地飛行場は徹底的に破壊されて、1942年に米海軍がミッドウェイ海戦に勝利するまで劣勢を強いられます。
 米本国では兵器戦時量産体制を急ピッチで推し進め、物になりそうな戦闘機(P-51ムスタング、P-47サンダーボルト、P-38ライトニング)の更なる改良も急ぎ、1942年にG型で加速力と航続性能を強化したことによって開花したP-38Gライトニングが1942年から戦線に登場、翌1443年には2機種とも名機と称えられる事になるP-51ムスタングのD型と、P-47サンダーボルトのD型を配備出来るようになり、空戦においても物量作戦による逆襲が始まりました。
 ヨーロッパでも1941年にドイツへ向けて宣戦布告を行ない、英連邦諸国と組んでドイツから制空権を奪う主役に躍り出る事になります。実際にこの図からでも、1943年からの実戦配備機種を見ると、敵国が羨望するほどのバランスの取れた機種タイプが揃っていて、この年から守勢から攻勢へと変わったのも容易に想像つきます。
 図中で特異な機種は夜間戦闘専用機のP-38MライトニングとP-61ブラックウィドウ。また、P40ウォーホークは序戦で日本軍戦闘機にボコられた機種でありましたが、F型以降はその運用しやすい頑丈さと急降下性能を活かした戦闘爆撃任務で活躍しました。
 P-39エアラコブラとP-63キングコブラは、戦闘機としては運動性が全く悪く米陸軍機としては全く活躍しなかったが、レンドリースしたソ連ではプロペラスピナー内に配した大口径機関砲が重宝がられて、対戦車攻撃機として活躍してしまうから、不思議なものです。

 
  
 
コラム22.前回描けなかった米海軍の戦闘機実戦配備図

 さて、日本の海軍と数々の激戦を行なった米海軍の戦闘機実戦配図です。うむぅ、主力艦上戦闘機については、くそ面白くない完璧なシステム化された配備状態ですなぁ。F3Fフライングバレルからはじまって、F4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット、F4Uコルセア、F8Fベアキャットと順調に主力戦闘機の座が引き継がれています。しかも、F2AバッファローとF4Uコルセア以外は○○キャットという愛称で判るようにグラマン社の機体が担っています。グラマンは現在に至るまで一貫してメイン艦上機の設計を担当しています。
 ちなみに日本軍戦闘機のライバル関係は有名ですよね。でも、そのライバル関係を含めて復習しておきましょう。だって米海軍ってヨーロッパ戦線にはほんのちょっとしか参加してませんから。
 第二次世界大戦に参入する前はF3Fフライングバレルという複葉戦闘機です。この複葉から単葉に進化したって感じで、F4Fワイルドキャットに設計自体が引き継がれます。
 途中、一時だけF2Aバッファローに主力戦闘機の座を奪われますがこの機種はすぐに低性能がバレて英国にレンドリースされて、英国でも持て余してフィンランドに提供される事になります。
 とにかく第二次世界大戦の序盤はバッファローとワイルドキャットだけ。ワイルドキャットは早々に前線から姿を消し、ワイルドキャットもゼロ戦21型や隼1型相手に負け戦が続きましたが、日米海軍機の制空権争いは転機を迎えます。1942年のミッドウェイ海戦においてSBDドーントレス爆撃機が日本軍主力空母4隻を沈没させる殊勲を挙げて形勢逆転。ワイルドキャットもサッチウェーブという集団戦法と物量でゼロ戦と対等に戦えるようになり、最終的にはキルレシオがほぼ互角にまでなりました。
 そして空母戦力の落ちた日本に対して、ゼロ戦キラーとよばれたF6Fヘルキャットが配備され航空優勢はゆるぎない物となり、、空母離着艦の改良で配備が遅れていたF4Uコルセアも少し遅れて主力機として配備されて、日本の空母は皆無の状態で制空権完璧に確保して終戦を迎えました。
 あれ?F7FタイガーキャットとF8Fベアキャットは?この2機種が配備された頃にはもう敵機が飛んでない状態で、活躍の場は無くなってましたし、数年後に勃発した朝鮮戦争では、F4Uコルセアが戦闘攻撃機としてまだ空母に搭載されて頑張ってましたが、この2機種の姿は無くて退役扱いにされていたという不運な機種でした。
 補足的にワイルドキャットの話に戻りますが、終戦まで小型空母(護衛空母)で運用され続けた働きものでありました。1942年に入るとグラマン社は新型機のヘルキャットの量産に専念させてジェネラル・モータースに生産移管されてFM-1、FM-2として頑張り続けていました。ゼロ戦21型に序戦でボコられたワイドルドキャットって地味ながらも重宝した機種でした。



 
コラム23.ソ連軍の戦闘機実戦配備図だぜぇ! 

 ソ連軍戦闘機の戦闘配備図も作成。第1回目に話題にしましたが、軽戦闘機のI-15シリーズと重戦闘機のI-16のコンビは登場直後には世界に誇る名戦闘機でしたが、1941年の独ソ戦勃発までその後継機の配備に困っています。コラム10で書きましたがI-16は一旦生産を辞めてますが独ソ戦勃発前に慌てて最生産も行なっています。I-15シリーズ最終量産型のI-153も同じ理由で独ソ戦勃発まで細々と現役に留まりました。
 で、1941年6月に独ソ戦でドイツ攻め込まだしてから、前年から開発をしていた試作機種の中から、Yak-1、LaGG-3、MiG-3を重点生産機種と指定し徐々に実戦配備が始められたという状況でした。重要生産から外れた試作機(I-17、IS-1/2、Su-3、Gu-82)は開発中止となり、特に名門設計局のポリカルポフはこれが原因で衰退しました。
 ヤコブレク、ラボーキチン、ミグと揃い踏みしましたが、中でも主力的に使われたのは、Yak-1、Yak-7、Yak-9、Yak-3、La-7とヤコブレフ中心でした。まあ、性能的にはドイツの優秀な戦闘機と互角に戦えるタイミングは少なく、東部戦線に出撃したドイツ軍パイロットの撃墜数を見てみると、かなりのソ連機が撃墜されたのだと思われます。地上軍ほどではないがやっぱり人海戦術を頼りに、機体数で戦ったんですね。そんな中、ドイツ降伏後は、Yak9シリーズだけは国内生産され続け、東欧諸国などの共産圏でも配備されるほどで、朝鮮戦闘でもMiG-15を補佐する戦闘機として出撃したほどです。
 地上軍襲撃機で有名なPe-2はVI型という夜間戦闘機型が派生で生産され配備されており、翌年に派生拡張させたPe-3シリーズが夜間戦闘任務を引き継いで配備されました。
 戦闘爆撃任務は、YakシリーズやLa-5シリーズも務めましたが、米国から輸入したエアラコブラやキティホークが対戦車攻撃で重宝がられました。「所変われば何とか」って言うやつなんでしょうが、フィンランドでのバッファローや、北アフリカでの英国軍キティホークも活躍していますし、過酷な気象条件の地でも戦闘力低下が少なく、この点は決してカタログスペックに現れないですが、頑丈でその運用し易さははやり米軍機の強みでした。



 
コラム24.ソ連空軍の女性パイロット達

 第二次世界大戦当時、連合軍・枢軸軍とも女性パイロットは存在していました。まず、ソ連を除いた国で見てみると、各国で少数見られ、前線に出撃する訳でなくプロパガンダ的に冒険飛行(ドイツのハンナ・ライチェ等)や後方輸送飛行部隊のパイロットでした。尚、英国では早くから婦人部隊が補助航空部隊で活躍しており、前線基地への戦闘機搬送にも従事したようです。米国でも女性のみの飛行隊(空輸部隊WASP)が結成され後方支援の輸送を行なっていました。
 ソ連では他国での扱いと違っていました。共産主義のタテマエは平等社会です。だから国家の為に戦争で戦うのも男女平等だ。と言うタテマエ(実際は兵士不足で女性でも戦場に立たせたかっただけ)で、陸海軍とも沢山の女性を最前戦に送っています。もちろん、ソ連空軍でも整備士、管制官、基地防衛隊などに従事させています。愛国心やドイツに対する敵愾心から自らパイロット志願して活躍したうら若き女性達もいて、中でも有名なのが戦後に「出撃!魔女飛行隊」(原題は「Night Witches」)という本にもなった飛行隊がありました。
 ドイツ軍の電撃奇襲「バルバロッサ作戦」によって国土にどんどん攻めこれ、戦力を激しく消耗したソ連空軍は志願兵を募った所、民間飛行クラブ等で飛行訓練を積んだ女性達も複数応募してきました。最初は断っていたのですが、1941年末より戦局の深刻な状態が明らかとなり、高名な女性飛行家のマリーナ・ラスコーヴァがスターリンの許可を得て、民間飛行士や飛行クラブから選抜した若き女性達約1,200人を女性だけの3つの飛行連隊(586女子戦闘機連隊、587女子爆撃機連隊、588夜間爆撃機連隊)を創設し、ラスコヴァ自らが司令として着任。この3つの連隊はパイロットだけで無く、整備士から管制官まで400名の要員全てが女性で編成されていました。そしてこの女性飛行隊が後にドイツから図らずも“魔女飛行隊”と恐れられる存在になったのです。
 587女子戦闘機連隊は、主にYak-1を運用し、スタリーングラード攻防戦で最前線の激しい制空権争いを行なう程の飛行連隊でした。中でも、168回の空戦に出撃し敵機を公式スコアで12機撃墜、3回目の被弾墜落にて22歳の若さで戦死したリディア・リトヴァクがもっとも高名。彼女の愛機Yak-1の胴体には白い薔薇のマークが描かれていて、ドイツ軍パイロットから「スターリングラードの白い薔薇」と恐れられ、数々のエピソードが現在でも伝わっています(戦後にスイスで生存していてTVに写っていた説もありました)し、レーニン勲章、赤旗勲章、一等及び二等祖国戦争勲章、赤星勲章を受章しています。おまけにかなりの美人です。他にも、リディアと双肩の腕前で11機撃墜記録のエカテリーナ・ブダノワ、当時中隊長のオルガ・ヤムシュコワ、女性としての敵機撃墜第1号となったヴァレーリヤ・ホミヤコワなど、活躍した戦闘機パイロットが揃って居ました。
 587女子爆撃連隊は、当初はSu-1攻撃機を乗機としていましたが直ぐにPe-2襲撃機に転換し昼間時の襲撃任務を担当し、マリーナ・ラスコーヴァ自身が連隊を率いて激しい対空砲火を受けながらドイツ陸軍部隊の最前線に爆撃を敢行し続けました。ラスコーヴァは、1943年サラートフ近郊で戦死し、最終任官は少佐でした。
 588女子夜間爆撃連隊は、練習機として開発されたポリカルレフPo-2という最大速度150km/hの複葉機で編成され、その時代遅れな2名乗り旧式機でドイツ軍前線拠点を夜間奇襲攻撃する任務を担当しました。この爆撃任務は、搭載爆弾もも小さくイタズラ的に繰り返し行なわれ、爆撃威力よりも「ドイツ軍を眠らせない」という効果は相当なもので、彼女達はエンジンを止めて滑空で低空進入する戦法を編み出し多大なる戦果を挙げてゆきます。連隊司令のイエヴドキア・ベルシャンスカヤ、840回の夜間出撃をこなし戦争を生き抜いてレーニン勲章と赤旗勲章、ソ連英雄章を獲得したナターリャ・ミャクリン。リディア・リトヴァクの大親友で「出撃!魔女飛行隊」のメイン主人公となるナディア・ポポヴァなどが配属され活躍しました。
 魔女飛行隊以外にも前線で戦ったソ連女性パイロットは沢山居ます。中でもリディアに次いで有名なソ連の女性パイロットであったアンナ・エゴロア中尉。女性では扱いが難しいと評されていたIl-2シュトルモビク地上攻撃機に乗って277回の出撃をこなしドイツ地上軍から畏怖されていましたが、1944年8月に対空砲で撃墜されて戦死したのか、ドイツ軍の捕虜になったかは不明とされていましたが、ドイツ軍の捕虜収容所から1945年に開放された直後に、今度はソ連の内務人民委員部に逮捕されスパイ容疑の尋問にかけられた後に釈放されて、2009年までモクスワで存命でした。
 リディア・リトヴァクと、アンナ・エロゴアは是非、ウィキペディアも見てください。そしてもっとソ連の女性パイロットを知りたいと思ったら、「出撃!魔女飛行隊」も是非読んで下さい。私が初めて手にしたのは高価な本だったのですが現在では再刊されて文庫版で中古品で入手できます。殺伐とした軍隊の中にあって恋物語もあったり、タフで愛すべき女性パイロットのノンフィクションな戦記物語となっています。