ソビエトの奇想天外機 |
独裁者スターリン率いるソビエトは、軍用機設計に失敗すると設計局の閉局はおろか、逮捕される事もある。逮捕後に行方不明なんてのもある。きっとスターリンの命令で、シベリア開墾に強制連行されたあげく凍死したんだろうなぁ。また、ペリヤコフなんて、スターリン粛正による投獄を免れず投獄されており、その監獄期間にPe-2を設計構想して、性能が良さそうだったもんだから釈放され、ペリヤコフ設計局として活躍したってのもある。「こういう軍用機を設計しろ」と強引な性能要求を突きつけられ慌てて設計させられるんだから奇想天外機も結構ある。しかし、資料が少ない。タイロフT-1とかニーチキン/シェフチェンコIS-1とか写真や画像が見つからない。 たぶん、詳しい資料があれば、一番奇想天外な設計が多いのは、この当時のソビエトでしょう。 |
GI-1(ベレズニアク・イザイエフ GI-1) ソビエト当局はベレズニアクとイザイエフの設計チームに、成層圏での迎撃任務に使用できる戦闘機を狙ったロケット推進エンジンを動力とする戦闘機の設計を要求。そして1942年に初飛行させたのが試作第1号機となるBI-1.。 やはりりドイツ軍のMe163と同じく、高速でかっとぶ(時速675キロ)が数分だけの航続時間しか得られず実用化には踏み切れなかった。で、この設計はBI-2〜BI-5と研究を続け、BI-6では翼端にラム・ジェットエンジンを搭載して試験されたが、これも期待はずれに終わり、結局6種類とも試作機だけで開発計画は中止となってしまった。 |
Mig-13(ミグ Mig-13) ソビエト国家防衛委員会がドイツのMe262に対抗出来る高速戦闘機を要求したことにより、ミヤコン・グレヴィッチ設計局で1944年から開発開始された試作戦闘機。I-250というプロトタイプ名で完成した機体はメインエンジンを液冷クリモフVK-107R(1650馬力)、加速用エンジンにハルシチョコフニコス・VRDKモータージェットを装備する混合動力機であった。I-250の1号機はテスト飛行中に水平尾翼の損傷で墜落したが、2号機にて加速ジェット使用時に時速825キロの速度マーク(但し10分)し、量産50機の指示を受けた。上記のベレズニアク・イザイエフ系と違ってロケット単体では無いので、実用性があると判断されたのだ。 しかし、ドイツの降伏によりナチスドイツのジェットエンジン技術が入手出来るようになったおかげでMig-9やYak-15の登場により、本機のような混合動力機の生産は1948年に中止となった。量産型Mig-13は16機存在していたと言われる。 |
A-40/KT-40(アントノフ A-40/KT-40) アントノフAー40またはKT-40呼ばれるHISではおなじみになっている戦車を合体させた機体。飛行機というより滑空機(グライダー)である。1940年にコンスタン・アントノフ設計局によって試作開発され、戦場前線へすばやく戦車を送り込む手段としてT-60軽戦車そのものをグライダー化したものである。戦場まではPE-8やTR-3によって牽引し、着陸後には着脱式の主翼等のグライダー部分を破棄して戦車として戦う構造になっており、戦車部分に搭乗しているパイロットは一応は操縦幹が付いていて滑空姿勢のコントロールぐらいは出来る仕組みになっていた。試作1号機は1941年に完成したらしいが、失速速度が時速110キロあたりの為に着陸速度が早くて、戦車部分の損傷を避けられないのが実情だったらしく開発中止となっている。 日本陸軍でも特三号戦車クロという同じような滑空戦車が1943年に研究されたが試作機完成する前に開発中止になっている。 |