イギリスの奇想天外機 
 航空機製造の老舗で、しかも素っ頓狂な開発要求が多いイギリス軍用機。スピットファイヤーやモスキートなど超美的な機体も極稀にありますが、大半の機体が「どことなく変」。
 そんな中、第二次世界大戦前後で、試作だけに終わった機体、少数生産だけだった機体にしぼって奇想天外機を探したら、結構少ない。なんでかっていうと、あのデファイントやバラクーダも量産しちゃう国ですから。
 まあ、このイギリス独特のこっけい感って、やっぱ、航空省の要求仕様のいい加減さなんだな。たまに良い機体が出来たりすると、仕様要求がその機体性能に合わせてあっさり変更されちゃうし、試作テスト前に平気で大量の量産発注しちゃうし。

 

Boulton Paul Defiant(デファイアント)  壁紙(標準) 

 ボールトンポール社製の単発レシプロ戦闘機。前方固定機銃を一切持たず、武装は機体上部の4連装旋回銃塔のみという異色の戦闘機として知られいる。そもそも、英航空省の要求仕様F.9/35(可動式機銃を備えた単発複座戦闘機)に応えた形で採用された機体であるが、1000馬力そこそこのマリーン3エンジン1基だけで重量のある4連装旋回銃塔を乗っけて運動性が良い訳が無い。しかも前方へ対する武器は無い。実線デビューのダンケルク撤退戦では爆撃機と誤認したドイツ機を撃墜出来たが、その正体がばれてしまっているバトルオブブリテンの時点ではBf109にボコボコにされて、早急に前線から撤退。その後、夜間戦闘機として配備されるがパッとせず、余った機体は4連装旋回銃塔をはずして標的曳航機として大活躍(?)した。
 
Blackburn Roc(ロック)  壁紙(標準) 

 イギリス海軍でもデファイアントと同時期に4連装旋回銃塔のみの戦闘機を実用化しちゃっている。「超低空で艦隊に接近し、雷撃を仕掛けてくる敵航空機に対し有効な迎撃ができる艦上戦闘機」を夢見て、ブラックバーン・スキュアとい急降下爆撃機を4連装旋回銃塔のみの戦闘機として改良し採用しちゃったのだ。しかも、ブラックバーン社はスキュアの生産にかかりきりであったため、ボールトンポール社が製作を行なってるのだから始末が悪い。
 空母に実戦配備されたが、もちろん非力なエンジンに重い4連装旋回銃塔で敵雷撃機を追尾できるはずが無く、早々に空母から降ろされた。こっけいな戦果として、ドイツ軍の空襲で飛行不可能となったロックが地上にて基地防衛の対空銃座して役立ったという話もある。
 

Airspeed A.S.31 Monoplane(A.S31 モノプレーン
 
 エアスピード社のヘッセル・ティルトマン設計士が、要求仕様F.35/35(高速戦闘機要求)に提出した、超思いつき奇想天外機。
 どう考えても、「その場所にコクピット付けるか!」「しかも垂直尾翼兼用か!」というシロモノ。風防実験を行なった段階でさすがの英国空軍もキャンセル出したらしいんだけど、この機体、飛んだとしても、そんな場所で操縦してたらどんな強靭なパイロットも乗り物酔いするだろ。私がもし乗ったら離陸前にゲロはくぞ。あ!この文章書いててまた気がついた。この機体、離陸のときの滑走でまっすぐ走れないやん。プロペラのトルクで徐々に機首がふられるのに、それを方向修正する方向舵が無い!
 さすがの英空軍でもこの機体設計については試作の許可をあたえず、早々にボツだわな。
 

Airspeed A.S.47(エアスピード A.S47
 
 こちらもエアスピード社の構想だけで終わった機体。オランダのフォッカーD.23と同じように機首部分の前後にそれぞれエンジンを配した双発串型双胴タイプの機体だけど、そのアイディアだけで終わらないのがエアスピード社。
 機首に設けたコクピットはなんと並列の複座、すなわち搭乗員が2名で、操縦手と爆撃手が並んで配置されている。しかも、コクピットは新工法から見て左寄りの操縦者側だけ付いていて、右隣に座っている爆撃手には小さな小窓だけ。何故わざわざ左右非対称にしたのか、搭乗員2名の緊急脱出はどうするつもりだったのか?外国サイトも翻訳して色々調べましたが理由はわかりませんでした。また、このエンジン配置では後方エンジンの冷却が重要な問題であるはずなのに、後方エンジンへの空気取り入れ口も見当たりません。爆撃手がウチワで扇いで冷却するつもりだったのだろうか?また、手に入れた図面ではフラップがありません。まさかフラッペン式か?
 まあ、上記のAS31の設計よりはまだマシであろうが謎の多い設計プランで、もちろん試作されていません。
 
Blackburn B20(ブラックバーン B-20) 

 左右の画像は同じ機体の画像です。1936年にレニー少佐が発案し、ブラックバーン社で設計された上げ下げ式フロートを持つ大型飛行艇。飛行中には中央フロートが機体底面と合体し優れた飛行姿勢を引き出せるものとした。
 フロート上げ下げは油圧を使って、飛行特性も悪くは無かったが、補助翼の操作性に難があり、試作機はその補助翼のフラッター現象が原因で墜落。不都合解消の為苦心しているうちに、わざわざこんな設計しなくてもショート・サンダーライトとか普通設計の飛行艇が高性能を示して実線配備され始めた為、ボツとなりました。苦労して機体底面を可動式にしたのに、報われず。
 
Hawker Henley(ホーカー・ヘンリー) 

 ホーカー社の名機といえばハリケーン、その名機と同時進行で開発された機体。急降下も出来る単発軽爆撃(英航空省の要求仕様P4/34)として開発された。ハリケーンの主翼や尾翼設計を継承して中翼にし胴体に爆弾層を設けた形となった。いろいろ仕様を変更されたりして完成してテスト飛行した試作機は、性能的にもハリケーンと兄弟だけに操縦性も良く、最大速度も473kmとそこそこで期待されて即量産って話になった。だがしかし、ほぼ同時期にイギリス空軍の方針が二点転三転して重爆撃機重視の戦略に。つまり軽爆撃はもう要らないって事。
 それじゃあんまりだって事で、標的機として量産に入ってた機を350機から200機に減らして軍が引き取ったが、それでもこんなに標的曳航機って要らないじゃん。まあ、しかしまあ当時のイギリスは、余った機体をすぐに標的曳航機にしちゃうわな。まさにお役所仕事って感じの余剰機はけ口だな。
 
HandleyPage HP.54 Harrow(ハンドレ・ページ HP.54 ハロー) 

 ハンドレページ社が設計開発した爆撃機で、奇想天外なのは、この機体を使って空中機雷で迎撃を行なうつもりだった事である。空中機雷とは、パラシュートに吊るした爆薬にピアノ線を垂らしたもので、このピアノ線に敵機が引っかかると爆薬が線をつたって降りてきて爆裂するというもの。
 空中機雷テストは行なわれたようだが。結局は実用的でないと判断され、第二次世界対戦中は後方での輸送に従事した。しかし、どうせこんな大型機を初めから作るのだったら、なんで爆撃任務にも使えるように設計しなかったんだろう?
 
Miles M39 Libellula(マイルズ M39B リベイラ) 

 英航空省が1941年に出した高々度高速爆撃機を求める要求仕様書B11/41に対して、マイルズ社が提案した機体で社内型式名はM39。マイルズ社は1930年代からこのような串形主翼のM35という機体の研究を行なった事もあり、今回のM39はその発展型だった。エンジンは開発中のジェットエンジンであるジプシーメジャーICを予定して設計されていた。
 でその外見は、こんな形で飛ぶの?と誰もが疑うような形で、さすがの設計陣も心配だったらしく、英航空省と相談してまず5/8スケールでレシプロエンジン2基を備えたテスト機を作成し1943年に完成させた。その機体がM39B(左右の画像)。 でもってテスト飛行させたが、早速2回も事故で破損し、修理されたが計画中止とともに廃棄された。やっぱちゃんと飛ばないじゃん。
 
ボストンV タービンライト BostonV Turbineliteles(ボストンMk.V タービンライト) 

 時は1940年。ちょうどバトルオブブリテンと呼ばれるドイツ空軍が英本土に連日爆撃を敢行していた頃。英空軍はドイツ夜間爆撃に苦しんでいた。地上からのサーチライトと基地警戒レーダーを頼りに迎撃するのは普通のハリケーン。専用の機上レーダーを積んだ夜間戦闘機はまだ開発中で実戦配備が遅れていた。
 で、英空軍は考えた。大型機にサーチライトを乗っけて敵爆撃機を照らそうと。抜擢した大型機は、双発爆撃機のボストンMkV(アメリカから輸入したA-20ハボック)で、機種を改造して大きなサーチライトと機上デーダを搭載。ボストン自身は双発爆撃機ながら運動性能も良く期待されて10個小隊配備したって言うんだから結構な数を改造した。前方向に約1km照らせる能力があり、連夜ハリケーンと組んで出撃。でもやっぱりハリケーン部隊との連携がうまく行かない。そのうちに味方のショートスターリングを照らしてしまって誘導しちゃった事件も発生して、この作戦は中止となりました。この間の成果はHe111を1機だけだったらしい。
 
Fairey Spearfish(フェアリー・スピアフィッシュ) 

 第二次世界大戦末期にフェアリー社にて試作された大型の単発雷撃機。次期艦上雷撃機としての要求仕様O.5/43に応える形として設計開始され、英海軍にて当時建造予定だったジブラルタル級空母の専用機として運用する予定だったが、第二次世界大戦の終戦とともにその空母建造と同時に本機も生産中止となり、完成済み4機は研究実験に使われただけであった。
 しかし生産中止となった原因は一概に空母建造中止だからでは無かった。前作のバラクーダの失策を踏まえてより強力なエンジンを積んで機内レーダー搭載力を持たせるつもりで、強大なエンジン(ブリストル・セントーラス57空冷18気筒2,320馬力)を選択し、そのエンジン開発に手間取るし、要求仕様を全て盛り込むとなった機体は大型化してしまい、現有の航空母艦ではサイズ的に運用に無理が生じたため、結果的にジブラルタル空母の完成を待たないと艦載出来なかったのである。全長13.54m、全幅18.36m、機体重量6,895kg。器を考慮せずに長期の期間と多大な費用をかけてしまった悪い例の代表的存在である。もし、ジブラルタル級が建造されていたらどうなのかと想定してみると、最大速度470km/hで航続距離がたったの1670kmでは、数年後に米海軍で実戦配備されたA-1スカイレーダーと比べると数段格下である。
 
Vickers Wellesley(ビッカース・ウェルズリ) 

 第二次世界大戦勃発時には旧式化していたが、1941年まで北アフリカ戦線で哨戒任務についていた単発複座の爆撃機。ヴィッカース社が自主開発にて、大圏構造という独自工法を用いており、細長い金属板を網の目で組み上げて外構を作る大圏構造という工法である。のちの双発爆撃機ウェリントンもこの工法が使われています。金属右図の写真はその胴体部分で公園とかに置いているゴミ箱見たいですね。初の大圏構造を持ったのも珍しいが、外見にも特徴がありました。それは、独立した複座のコクピットです。練習機でも無いのに何故このようにしたか?色々海外サイトも調べましたが、判りませんでした。
 見た目は変わっていますが、1935年から6年間も使われていて当時の英国爆撃としては長命でしたし、1937年にはエジプト〜オーストラリアまでの11,520.4kmの飛行距離で世界記録を樹立しました。