アメリカの奇想天外機 
 第二次世界大戦前から自家用自動車が急速発展していたアメリカは、持ち前の機械工業力を生かした航空機を大量生産した国である。早くから、軍の設計要求がしっかり確立し実直な設計が大半を占めているが、最新鋭を目指すが為に中には奇想天外な非実用機になってしまったり、性能がぱっとせず生産中止になってしまったのがある。ちなみに、機体形式名の前に「X」が付くのは試作機の意味ですね。

 


XF-85 Goblin(XF85 ゴブリン)  壁紙(標準)
 
 第二次世界大戦時から大型爆撃機を護衛出来る航続力を持った戦闘機の必要性に駆られ、その解決法として、大戦後にマクドネル社が試作した護衛戦闘機。本機は、戦略爆撃機B-36ピースメーカーなど大型軍用機の胴体内に収納されて戦闘空域で専用パラサイト(ランチャー)から発艦し、護衛任務完了後にそのパラサイトにフッキングさせて帰還を行なう仕組み。
 爆弾槽内に収納されるために非常に特異な形状をしており、胴体は短く、着陸脚無し、コクピットの直前に収容用のフックが設置されている。 尾翼や補助翼の改造を繰り返し、親機への帰還に成功した試作機もあったが、実線配備に至るまでの安全性は無いと判断され、計画は撤回された。
 
XP-55 ASCENDER(XP55 アゼンダー)  壁紙(標準)

 米国においても第二次世界大戦時から推進式エンテ翼機を開発設計しており、本機はカーチス社により1941年にはプロトタイプで飛行テストするまで至っていた。
 ただし、開発元であるカーチス自体がP40やSB2Cの量産に忙しく、当初予定していた2000馬力級エンジンも載せれず、失速特性解消や振動・冷却問題が多発し開発は遅れに遅れてしまう。
 そうこうするうちに、もっと高性能なレシプロ機であるP47DサンダーボルトやP51Dムスタングが実線配備され、ジェット戦闘機であるロッキードP80シューティングスターもテスト飛行しだすと、当然、本機はボツになりました。
 
XF5U FlyingFlapjack(XF5U フライングパンケーキ)  壁紙(標準)

 ヴォート社のチャールズH設計士によって開発された円盤翼試作戦闘機。高い揚力と広い速度範囲を活かそうしたSTOL性能を求めて開発されたが、ジェットエンジン機の発展によりレシプロエンジン機の戦闘機の需要が無くなって来た事と、機体の構造上前方にはプロペラの回転範囲外になる部分が殆ど無い為にロケット弾等の前方に投射する兵器を装備することが出来ず、発注は中止された。
 
XF5F-1 Skyrocket(XF5F-1 スカイロケット)  壁紙(標準)

 グラマンが計画した双発単座艦上戦闘機。その機体形状は、機首よりも前に主翼の前縁がある事であり、これは空母艦載機であるという制約のため単発機と同等の機体サイズに納めるためにとられた措置であった。
 1940年4月に初飛行に成功し、テストの結果優れた上昇力を示したことから「スカイロケット」と名付けられ、一時はF4Uコルセアと量産発注を競ったが、空母への着艦時に前下方の視界がほとんどないという艦載機としては致命的な欠陥があったため制式採用は見送られ、1機のみの製作でプロパガンダに終わった。
 
XP-62(XP-62)

 カーチス社が計画し1機の試作機だけに終わった高高度迎撃戦闘機。1941年に米陸軍の仕様要求(与圧式コクピットでしかも高度8230mで753km以上の速度)に応えた計画機で、SB2Cヘルダイバーの実用化で四苦八苦しているのにもかかわらず試作機受注を受けちゃったから、戦時生産体制中であるのに1年経っても計画機が出来上がらない。
 そうこうするうちに、米陸軍ではP-47サンダーボルトのD型やG型が実線配備されてきて、P-62の活躍の場なんてありはしない。活用がどうでもよっくなったし、カーチス社では与圧式コクピットでまだ手間取ってたので、あっさりキャンセルをくらって、唯一の試作機は1944年にスクラップされた。この頃のカーチス社って末期的で、実線配備機としてSB2Cヘルダイバーも方向安定性が解決せず、そのうえXP-55アゼンダーやXP-60、SO3Cシーミュウの開発で四苦八苦の状態だった。実際にこの機体がカーチス社の最後の受注機となったとさ。
 
XP-75 Eagle(XP-75 イーグル)

 イーグルといっても後世のF15イーグルでは無い。有数の国内自動車メーカーであるジェネラル・モータース社が航空機設計に参入しフィッシャーという部門を設立させて試作した戦闘機。
 1942年に長距離援護戦闘機として陸軍から試作2機の受注をうける事が出来たんだけど、その機体は「ありあわせで組み立てました」ってやつ。主翼外翼はP40ウォーホーク、尾翼はSBDドーントレス、主脚がF4Uコルセア。さすがにプロペラは二重反転式を装備してオリジナリティをだしたけど、そのペラもテスト飛行後に、操縦席のバブルキャノピー化とともに、タンデム式の5枚ペラに変更したりしちゃってます。結局は陸軍の指示により、やっぱり試作止まりとなりました。
 まあ、この時期のの米国の試作戦闘機ってのは皆哀れなんです。だって、P51ムスタング、P47サンダーボルト、F4Uコルセアなんかがマイナーチェンジでスーパー戦闘機になっちゃってるんだから、比べられると負けちゃうの。
 
XP-79 Flying Ram(XP-79 フライングラム)

 ノースロップ社が1943年1月に米陸軍XP-79として3機の試作受注に成功した全翼戦闘機。この機体は開発中のXCAL-200ロケットエンジン装備とされていたがそのエンジンの開発が間に合わず、ウェスチングハウス19Bターボジェットエンジン(推力619kg)2基を装備した。機体はマグネシウム合金のセミ・モノコック構造で、ターボジェットエンジン2基に挟まれた中央部に操縦席が設けられ、パイロットはそこに腹ばい状態で搭乗した。マグネシウム合金の分厚い翼が、一時は体当たり攻撃用の機体であるという説になったが、これは急激な急降下に絶えるための措置である。
 1945年9月に、試作第1号機が飛行テスト開始早々にスピンしてそのまま墜落し大破炎上。対日戦も終戦となっていた為、開発自体が中止となった。
 
SO3C Seamew(SO3C シーミュウ)  SO3C-2C壁紙(標準)  SO3C-1壁紙(標準)

 カーチス社が設計開発した観測機。1938年にSOCシーガルの後継機となる艦載観測機の開発を米海軍が要求し、その際に採用されたが、結果的には短い期間だけ米海軍の軍艦カタパルト用に使用されたのみで、SOCシーガルよりも先に退役となった。その外見のボディや尾翼が自社の急降下爆撃機SB2Cヘルダイバーそっくり。あまりにも付け焼刃なので主翼はオリジナルで四角いに変えたけど翼端が上向きで変。SB2Cもそうだったが方向安定性が悪いので尾翼のフィンを後部座席キャノピーまで伸ばしている。アタッチメント式で水上機用フロートと陸上用車輪を取り付け可能だったりするもんだから便利かな?って感じでとりあえず量産にこぎつけた。この機体の愛称は当初、SOCと同じくシーガルと名づけられたはずなんだが、英海軍向けに輸出されたSO3C-2Cが向こうでシーミュウと名づけられてたんで、愛称はそっちを逆輸入したんだなぁ。もちろん英海軍でもパッとせずに生涯を終えました。
 
XB-42 Mixmaster(XB-42 ミックスマスター) 

 ダグラス社が1943年に米陸軍に提出し、自社費用で開発した推進式の二重反転ペラを装備した高速攻撃/爆撃機。胴体に2基の液冷エンジン(アリソンV-1710)を縦に搭載し、原型1号機は当時最速の攻撃機モスキートと同じ速度でありながら倍の爆撃搭載量があるという能力を持っていた。
 しかし、機体形状から来る振動問題と、やっぱり後方エンジンの冷却問題をかかえていた。そうするうちに第二次世界大戦が終結し、ジェット時代の到来により開発中止となり量産されなかった。尚、エンジンをジェット化したXB-43も開発が進められたが、こちらも制式採用されなかった。
 
XF-11(ヒューズ XF-11) 

 1943年に米陸軍は日本本土の偵察を目的とした新機体の要求仕様(高速・高々度・長距離の条件を満たす偵察専用機)を出し、その仕様書に基づき大富豪ハワード・ヒューズが自ら設計を行ったのが当機である。
 ロッキードP-38に似た双発双胴であるが、高々度飛行に適する高いアスペクト比を持った主翼(全幅30.8m)、与圧コクピット、大きな二重反転プロペラ、写真偵察カメラを装備しており、機体の一部に新素材の金属板を持ち、期待されていた。
 しかし、1946年の試作2号機テスト飛行時に、前評判を裏切って墜落。操縦していたハワードヒューズは危うく死ぬところだった。この頃には第二次世界大戦も終結しており、この事故をきっかけとして開発は中止された。