ドイツの奇想天外機
 優れた航空設計士を数多く輩出し先進的工業技術を屈指したドイツは、世界が認める軍用機先進国であった。そのドイツは、第二次大戦の敗戦後、数多くの航空開発計画が進められていたのが発見され、アメリカ、ソ連、イギリス等の戦勝国でその技術は引き継がれ、F-86、Mig15、F-104、ハリアー等の優れた軍用機開発を受け継がれた形となった。
 そんな中、「当時の技術では到底追いつかない」、「ほんまに飛ばすつもりだったのか」と疑わざる得ない奇想天外な開発企画もありました。
 以下のものは、試作はおろかモックアップもされていませんが、何れも当時、本気で戦局打開を図って企画された設計案です。
 また、ナチスドイツ末期となると、狂人化していたヒトラー総統やゲーリング空軍元帥に振り回されたあげくに実線に出て行った奇想天外な機体も、かなりの数になります。
 尚、ナチスドイツは奇想天外機が実に多いので、実機が存在していない計画段階で終わったものは下記ページに以降しました。
 ドイツの未完成な奇想天外機

 


Lippisch Li P.04-106(マルティンリピッシュP.04-106)
 
 こちらもHISにてレイド戦で出現する機体。
 メッサーシュミットMe163コメートを開発した事で有名なマルティン・リピッシュ博士による二段翼の推進式双発機。設計だけに終わったが、全翼機の先駆け的な設計であるのは間違いなく、大きな方向舵を主翼後縁中央に設置して旋回力不足を解消させる工夫も見られる。恐るべきはこの機体設計、ドイツ末期の設計ではなく、第二次世界大戦勃発前なのだ。
 実はこの機体、Bf110との競合で負けた為に開発段階でストップした計画であり、当事の空軍トップであるゲーリングがBf110を強烈にプッシュしていなければ、駆逐戦闘機として量産されていたはずである。そうなれば、左の画像のように、夜間戦闘機として強力な火力で米英重爆撃機を撃墜していたかも知れない。
 しかし、BF110と開発が同期ってことは1935年にはこんな先進的な翼を持った機体がちゃんとした設計でなされてたって事だから、何度も言うようだがすごいよね。
 マルティン・リピッシュ博士って、上記掲載のオイゲンゼンガー博士もそうだが、当時のドイツにおいても優秀すぎて、並みの技術者ではついていけなかったのが実情です、Me163コメートも変な使い方されちゃったし。
 
 
Hs132(ヘンシェル132)
 
 戦車や艦船の製造でも有名なヘンシェル社が開発した単座ジェット急降下爆撃機。1945年春に原型完成したがテスト中に敗戦。無理やりの奇想天外さは無いが、スリムにまとまった金属属製胴体に伏臥式コクピット、主翼・尾翼は木製で、エンジンを機体背中に装備しHe162サラマンダー戦闘機に良く似た形状をしている。実線配備が実現していてもおかしくない程、戦時量産型の設計です。
 全長8.9m 全幅7.1m エンジンBMW003 最大速度780 km/h 機銃20mm×2 爆弾500kg
   
Ba349 Natter(バッハヘム349 ナッター)  壁紙(標準)
 
 バッハヘム博士が開発した有人迎撃ミサイル機。専用の射出ランチャーにて発射されるその機体は、メインエンジンのワルターロケット1基と離昇ロケットブースター4基を動力とし、約2分間かっとぶ事が出来る。一気に大空へ駆け上った後は機首に備えたロケット弾を敵重爆撃機にぶちかます。ロケットの推進力が尽きたあとは、Me163163コメートのようにゆっくり滑空出来る時間は無くて大急ぎでパイロットはパラシュートで脱出するという構想。それでもって量産寸前まで開発されたんだが、パイロットが発射時に失神する事故が続発したのが原因で実戦には至らなかった。
 飛行機の分類に入れるべきかどうかは別にして、日本海軍が実戦で使用してしまった桜花と比べたら、パイロットは生還するべきだという発想はまだマシかな。
 
AS-6(ザック AS-6)
 
 アルトゥール・ザックというドイツ人飛行機マニアが設計製作した円盤翼機体。1939年の飛行機コンテストで模型を出展したのがきっかけでドイツ空軍の注目を得た。メイン構造は合板外皮木製、各種パーツはBf109等を流用してプロトタイプが1944年に完成。
 滑空テストでは、主翼幅がプロペラトルクを解消出来ず、機体は傾いたまま少しだけジャンプしただけで、当然、開発ボツになりました。まあ、飛行テストまでこぎつけたんだからすごいわ。
 
 
Mistel(ミステル Mistel)  壁紙(標準)
 
 特殊な改造を受けた無人大型機の上に有人の小型機を突貫工事だけで連結した合体機。しかし、ほんとうに実現化されて実戦に出たんだからすごいわ。攻撃の仕組みは上部機体の駆動で爆撃目標まで飛行して行き、目標に標準を合わせた上で、爆弾を積み込んで無人化された余剰爆撃機を分離滑空させて破壊するという寸法。
 様々な組み合わせが実験(各種合わせて250機程度)され、そのうちBf109とJu88の組み合わせはノルマンディー上陸作戦での艦船攻撃に使用された。まあ当然、大した成果は上げれなかったけど、自力で飛べないほど損傷や消耗をうけた大型機体を有効利用するという意図もあった。その実戦デビュー戦後も具体的な実線投入の計画はいちよあったのだが、「速度の遅い大型な合体機では目標に近づけない」と判断され、実線投入中止となっている。
 その判断、はじめから気づけよ! 
 
 
He111H-8w(He111H-8w バルーンケーブルカッター)
 
 ドイツの有名な双発爆撃機であるHe111は7000機以上も生産されて、中にはHe111H-8wという変わった派生機があった。He111って1937年のスペイン内戦から実戦投入されいて、製造は比較的簡単だし、魚雷も積めるし、かなり重宝した機体で派生形式っていっぱいあるんです。水上機に改造された機体もありました。
 で、He111H8wは通称バルーンケーブルカッター。バトルオブブリテンの時期にロンドン周辺の上空に張り巡らせられていた阻塞気球を切断する為の専用機体です。前方向、翼幅いっぱい(全幅16.4m)を使って刃のついたカッターを装着させて阻塞気球ケーブルを切断する仕組みで、胴体後部にカウンターウェイトを積みカッターとの重量バランスを取っていた。
 実際にこの機体を使ってで阻塞気球ケーブルが切れるそうで30機程生産されて実戦にも参加したが、阻塞気球上空の制空権が無い状況では損害ばかりで役に立たなかった。
 
He111Z-1(He111Z-1 ツヴィリンク)
 
 本機もHe111の派生型。なんと2台のHe111を主翼でつないだ珍品。その目的は、超巨大軍用輸送グライダーMe321を曳航する為で、より馬力を得るために合体部分にもエンジン1基を追加して合計5つのエンジン(ユモ211)となっている。また、不整地からの離陸にはRATO(離陸補助ロケット)装置を使用する事になっていた。米空軍のツインムスタングもこういう合体機だけど、こちらのほうがずいぶん早くから飛行している。
 He111Z-1は実際に部隊配備され訓練飛行も行なわれており、東部戦線で投入される予定であったが、制空権の確保問題や、ソ連による飛行場の爆撃などで、実戦に出る機会は無かった。
 HISでもHe111Zがプレミア機であるけど、あのフォルムは間違ってるよね。だってエンジンが4つしかない。
 
Me309 (メッサーシュミット Me309)
 
 メッサーシュミット社が自社で開発設計したドイツ主力戦闘機Bf109の後継機として1940年から研究開発した戦闘機。そのフォルムはBf109を空力洗練させた形で、バブルキャノピーやリトラクタブルラジエターを持ち、前輪式降着装置であった。武装は30mm機関砲1丁、20mm機銃が2丁、13mm機銃が2丁と重武装。想定最大速度は時速733km/h。突拍子も無い計画でもなく、当然、設計段階では大きな期待を持たれた。
 試作機Me309V1は1942年にDB605A1(1475馬力)を積んで初飛行。しかし、収納した前輪とラジエターの位置関係が悪くラジエターが常に加熱気味、重量バランスが欠けていたり、方向安定性の不足など多くの欠点が見つかった。V2、V3、V4と試作機4種類を製作し続け是正させようとしたが、社内的にはMe262ジェット戦闘機の優先生産方針もあるし、より優秀なFw190Dの実戦投入が近付く中でBf109Gより50km/hほど速いだけの本機存在意義は薄いと結論付けられて開発中止になった。
 一部の説では、模擬空戦でBf109Gに敵わなかったらしいです。本機は試作で終わったがその研究結果は、Me262の開発に役立ったらしいし、後のMe209やMe509の研究に継承される事となる。
 
Fl282 Kolibri(フレットナー Fl282 コリブリ)  壁紙(標準)
 
 アントン・フレットナーが研究開発した回転翼機。一人乗りで大きな垂直尾翼を持った完全なるヘリコプターである。最高速度は150km(ローターのエンジンは160馬力)ながら抜群の運動性を持ち、全天候性能も持っていた。原型機は1941年に初飛行し1943年には20機が戦闘艦船に搭載され、バルト海、地中海、エーゲ海にて試験的に船団護衛任務の役についた。その後1000機の生産命令が出たが、戦略爆撃の為に生産がままならず、ドイツ敗戦時に3機を残して破却された。
 
Fa269(フォッケ・アハゲリス Fa269)  
 
 1941年にドイツのフォッケ・アハゲリス社が垂直離着陸(VTOL)機としてドイツ航空省に提出した計画機。上昇時と前進時とでプロペラ推進の向きを変えて飛行するというティルトローター式で離着陸させる機体計画であった。当時はVTOL戦闘機としてモックアップを風洞実験を行なうまでこぎつけていたが終戦までに間に合わず、勝利した連合軍もこの開発に興味を示さずに棚上げされた状態であった。
 しかし、1950年代初めになってブラジル空軍技術センターがハインリッヒ・フォッケ設計士(フォッケウルフ社の創始者の一人でもある)を招いてコンヴェルティプラーノ社を設立し開発を再開。試作機は何機にもおよび、英米の幾多のレシプロエンジンを積んで300回以上も離着陸テストを繰り返したが、実戦配備される事は無く開発中止。
 
Ju322 Mammut(Ju322 マムート)  
 
 ユンカース社で試作された輸送用グライダーで、マムートとはマンモスの意味。戦略物資を使用せずに全木製で全長30.25m、全幅62mの巨大さで、W号戦車、88mm高射砲など合計20,000kgの貨物を搭載出来るようになっていた。機体フォルムはほぼ全翼機に近く、主翼の全縁中央部に輸送湾曲したドアを持ち、その上部にコクピットが配置されていた。
 1941年に試作1号機はJu90に曳航されて初飛行を行ない、概ね良好な飛行をみせ、試作2号機にて1号機からの改善計画も練られたが、木製機固有の貧弱な設計が考慮されて、メッサーシュミットの同コンセプト機であるMe321に軍の採用争いで負けて開発中止となった。
 ドイツ航空省の開発中止後も、ほそぼそと試作2号機を再設計していたが、Me321とMe323の優秀さを見て、その自主制作も放棄された。
 
Me322Gigant(Me322 ギガント)  壁紙(Wide)  
 
 ユンカース社のJu322の意欲的な全翼機的な設計に対し、メッサーシュミット社の巨大輸送グライダーはアスペクト比の大きな上翼をもったオーソドックな形を巨大化したグライダーを設計し、Me321と命名されて軍の採用を受けた。
 しかし、全長28.5m、全幅5.9mというJu322より一回り小さいこのグライダーでも、曳航中の事故が訓練時から多発した為、翼に合計6基のエンジンを装備させて自力飛行力を持たせたのが、Me322ギガントです。車輪はゴム圧タイヤにてなんと10個も配置して、ある程度の未整地でも着陸出来る能力があった。。
 構造は旧式な布張りで、飛行速度は遅く運動性能も悪かったが逆に布張りであるが為に 被弾には強く、優れたペイロード力は優秀であり、貨物ドアは機首をコクピットごと観音開きにして搬入搬出出来る仕組みが機能的で、これまでの空中輸送能力水準を大きく書き換えてしまった名機であった。