ドイツの未完成な奇想天外機
 ナチスドイツは第二次世界大戦後半になると、敗戦ムードが漂い、起死回生の逆転を目指して様々な奇想天外計画機が出てきます。無理に無理を重ねたヘンテコな機体計画。当時としては高度すぎる技術を用いようとして計画倒れした機体などなど。中には本当に試作機完成が間に合わなかった高性能機もありますが、どこまで本気だったのだと疑うような計画もあったりして、大変興味深いです。
 ドイツの試作機・実戦機が存在したものは、下記リンクにページ分離しました。
 ドイツの奇想天外機(実機編)

 


Focke-Wulf Triebflugelフォッケウルフトリープフリューゲル )  壁紙(標準)
 
 オットームックが垂直離陸戦闘機をめざし、翼端に3度傾けて配置させたラムズジェットで翼ローターを高回転させる事により離着陸だけでなく戦闘起動もこなそうという案。その翼ローターは、3つのブレードでプロペラを兼用し、リングは胴体の周り自由に回転できるようベアリングした上でベースマウントされていた。そしてなんと、空洞実験にてマッハ0.9をマークしたってんだからものすごい。
 敗戦が濃厚となったドイツは、主要な飛行場が英米の重爆撃機によって壊滅状態にされており、広い飛行場を必要としない垂直離陸迎撃戦闘機として一時は期待されたが、胴体自体のトルク解決、ジェットエンジンへの燃料加給など数々の問題があり、計画段階でキャンセルされた。
 まあどっちにしても、飛行中の方向安定性が絶対に不足してるのは素人でも分かるよね。
 翼ローター直径:38フィート 全長:30フィート 重量ロード:5200ポンド  想定最大速度: 621 mph est 
 武装: 2x 30mm MK-103 + 2x 20mm MG-151。
 

DaimlerBenz Project C&E(ダイムラーベンツ プロジェクトC&E)
 
 HISユーザーならご存知、ダイムラーベンツ社のドデカ軍用機計画。1945年に独自開発され基本機体構想はプロジェクトC、翼下に装着する有人ロケットはプロジェクトEとして計画されたが、当然実現していません。
 プロジェクトCの機体本体は、全幅54m、全長35.8m、最高速度不明。 逆ガルに設計された翼には、一見、四発水冷エンジン4基に見えますが、翼後ろにも2基の水冷エンジンをそなえ、合計6発のエンジンを搭載。車輪は引き込み脚とはならずに巨大なスパッツ状の車軸となっている。
 そのエンジン馬力や機体フォルムから想定しても、実機が完成していても飛行速度はろくな数値を出せるはずも無く、プロジェクトEと呼ばれる有人ロケット機を翼下に5基搭載する為に取り急ぎ図面化したという感じがする。まあどっちにしても、ドイツ末期の妄想設計。
 

Sanger Silverbird Orbital Bomber(ゼンガー シルバーバード軌道爆撃機)
 
 オイゲンゼンガー博士による有人宇宙軌道爆撃機計画。
 超音速、成層圏飛行による軌道爆撃計画はなんと1935年から構想されていて、ロケットエンジンは100トンの推力加圧を研究が進められており、離陸時に切り離しするロケット推進も考案済みであった。もちろん大戦中に完成されていないが、あらためて当事のドイツの航空技術力のすごさを感じ、これで成層圏軌道からニューヨークを爆撃するつもりだったから恐ろしい 。いくら当時でナンバーワンの航空技術ももっていても、ここまでいくと、もはやファンタジー妄想。

 でもそのファンタジー妄想設計は、米国へ受け継がれ、スペースシャトルにつながったと考えざる得ない。

Ta183 Huckebein(Ta183 フォッケバイン)  壁紙(標準)
 
 私の大好きな未完成軍用機。クルトタンク博士のナンバーワン設計機だと思ってます。
 この機体、B29迎撃用に1944年末に16機の原型機製造が発注され初飛行は1945年5月から6月の予定であったが、1945年4月に英軍がフォッケウルフの工場を占領したことにより、1機も完成しないまま終戦を迎えてしまった。もうちょっとで試作機が完成していたかも知れないって事。
 ジェットエンジンを胴体後部に収納し、機首の空気取り入れ口、主翼は40度の後退翼、与圧が完璧なコクピットなど、新世代のジェット機の手本となった。特に後年のMig15がそっくりの姿をしており、ドイツ降伏直後のどさくさにソビエトがこの開発研究を剥奪継承したのは明らかである。
 後のアメリカ空軍のレポートによると、「本機を設計どおりに製作しても翼面先端付近の失速速度が速く、前翼スラット等の改良が必要であった」とされているが、その説は負け惜しみに聞こえる。ミグ15やF86セイバーも試作テスト開始した段階では前翼スラットが無かったやん。
 奇想天外機ではなさそうな優れた機体であるが、翼下には、赤外線空対空追尾ミサイル(ルールシュタール X-4)という当時ではとんでもない構想の、迎撃ミサイルを4基搭載する予定であった。こっちは当時実用されていても思ったような追尾は無理だよ。
 
 

He Lerche(ハインケル・ラルケ)  壁紙(標準)
 
 使用可能な飛行場不足に悩む末期のナイチスドイツにて、1944年ハインケルプロジェクトとして研究された垂直離着陸機。ペーパープランで終わったもののその機体設計はものすごい
 液冷DB605D(2000馬力)2基のエンジンを対向させて2重反転プロペラとして環状に配置された主翼の内部に配置、椅子に付いているコマのような車輪、直立式にパイロットが操縦するコクピット、武装は空対空赤外線追尾ミサイル:ルールシュタルX-4を搭載、全幅4m、全長10m、固定武装30mmX2丁という設計カタログ。
 これって素人が見ても、方向安定性がゼロに近いです。そういえば、フライトシュミレーションゲーム:IL-2では操縦可能な機体であり、やっぱ操縦がめちゃ難しい(特に着陸は私の腕では無理でした)
 米英ソの戦勝国が開発継承して、一時は研究継続たらしいですが実用不可能でありました。そりゃそうですよね、こんなの研究継承するより、ヘリコプターのさらなる高速化の研究や、ハリヤーやフォージャー実用化を研究するするほうがよっぽど有益。
 
 

Lippisch P.13a(リピッシュP.13a)  壁紙(標準)
 
 デルタ翼機というより、尾翼だけが飛んでいるような独特なフォルムは、マルティン・リピッシュ博士の研究による革新的デルタ翼開発機。1936年ごろから無尾翼高速機の手段としてデルタ翼を提唱していたリピッシュ博士は、実線配備となったMe163コメートでのメリット・デメリットの経験を踏まえ、1944年5月から本格始動を始めた本機設計は実物大の無動力フライダーが完成したところで終戦を迎えてしまっている。
 無尾翼高速機を目指した巨大なデルタ翼、コクピットを兼ねたと垂直尾翼、中央胴体に配したラムズジェット、そして、驚くべきことに空洞実験ではマッハ2.6に至るまで優れた安定性を発揮したという先進的すぎる航空技術。離着陸は例によって飛行場不足対策の為にソリを使った形式に甘んじているものの、米国のF104デルダダガー、フランスのミラージュなど近代デルタジェットの祖とされている。
 カタログスペックは、全幅 3.25m 全長5.92m ラムズジェットエンジン1基搭載 固定武装 30mmX2 乗員1名 。
 
 
Me P.1112(メッサーシュミットP.1112)
 
 1945年に全翼戦闘機Me P.1111のプロジェクト設計の欠点を排除しようとしたメッサーシュミット社は、翼付け根の中央に空気取入れ口、そして先進的なV字尾翼を装備した近代的ジェット戦闘機を設計。当事のジェット計画機での欠点であった航続距離の短さを太い胴体中央に大型タンクを装備することで補ない、機首に30mmの代口径機関砲を搭載する重武装設計であった。
 もちろんこんな機体の実現化が終戦に間に合うわけも無く、カタログスペック上は、全幅8 .74m 長さ:8.25m 最大速度1100 km/h 乗員1名 。
 
 
Ju EF130(ユンカース EF130)
 
 ナチスドイツは、敗戦間近に各メーカーに向けて大型長距離爆撃機開発の要求を出していた。ユンカース社においては本機をその要求に応える形で開発設計。もちろん終戦に間に合わなかったが、大型の全翼は木製、加圧コクピットは金属の構造を持たせた大型フォルムで、四発ジェットエンジンを後部中央に集中搭載という設計内容であった。
 カタログデータでは、全幅30 8m 長さ:32.4m 最大速度930km/h 航続距離3500km 最大搭載爆弾5000kg。
 四発ジェットエンジンの推力をいかした最大搭載量5トンは非常に魅力的であるが、そんなジェットエンジン配置と機体サイズで時速930キロの5トン搭載だよ、どんだけ強力なエンジンなの?四発ジェット搭載機であれば後々の1951年に米空軍にて運用開始されたB-47ストラトジェットでやっと時速945キロで爆弾搭載量5トンを超えたのである。
 さらに、そのエンジンとエレベーター配置で4つのジェットを急加速させたら、機首が下を向いた日には、機首引き起こしが出来るの?
 
 
Heinke LongRange Bomber(ハインケル ロングレンジボーマー)  壁紙(標準)
 
 ナチスドイツ末期の長距離爆撃機要求に対して、ハインケルはHe177グライフ(及びHe277)の最終調整を急ぐと共に、1945年に13,000Kgの爆弾荷重と28,000kmの航続距離を持ったジェット爆撃機を研究発表。翼付け根と一体化された大きな空気取り入れ口が特徴的な機体。
 このハイケンルの長距離爆撃機設計は上記のJu EF130と比べたらまだ実現しそうな設計です。実際に本機は風防実験段階に良好にクリアした段階で終戦を迎えている。英国ジェット爆撃機ビクターなど、本機開発を継承した大型ジェット機もあったと思われる。
カタログスペックは、全長19.85m 全幅31.5m 爆弾搭載量1.3t 航続距離28,000km 最高速度不明
 
 
Me P.1108(メッサーシュミット P.1108)
 
 メッサーシュミット社も1945年2月に長距離爆撃機要求に対し本機の開発設計を提出。そのデザインは、後退翼の四発ジェットエンジンを搭載した無難で安価な機体設計であった。
 最大爆弾搭載量が1000kgで飛行範囲は2000km。全長18.2m、全幅20.12mで速度:850km/hというカタログスペック。
 最高速度は少し欲張りすぎだが他の部分は性能的に特に秀でたスペックでは無く、ドイツ空軍の末期的事情に対する生産性を考慮した機体設計であると思われる。航続距離が2000kmで長距離かと突っ込みたくなるけど、まあ御他聞に漏れずに本機もプロトタイプ製造中に終戦を迎えてしまった。
  
Fw283(フォッケウルフ283)
 
 フェッケウルフ社のラムズジェット戦闘機開発。水平尾翼の両端に2基のラムズジェットエンジン、胴体最尾部にロケットエンジン1基を搭載している。主翼は45度の角度を持たせた後退翼でスピード重視の重戦闘機設計であり、機体武装は機首に2基の30mm砲を搭載する予定であった。ドイツ空軍の採用番号Fw283を与えられて迎撃戦闘機として期待されたがプロトタイプが未完成で終わった。
 この機体も現在の空力研究から考慮すると、設計図面どおりのエンジン配置とエレベーターのサイズバランスでは飛行中の上下安定性が欠けているように思われる。カタログスペックは、全長11.85m、全幅8m、最大速度1,100km。典型的な重戦闘機形態で、音速越えを狙って設計されていた。
  
DaimlerBenz Jager(ダイムラーベンツ ジャガー)
 
 1942年からダイムラーベンツ社はDB-609という画期的(らしい)水冷倒立16気筒エンジンの開発を開始していた。
 そのエンジンに合わせて、胴体中央に二重反転するプロペラを配した戦闘機を設計。なぜそこにプロペラつける必要がある?その空冷エンジンみたいな機首させて後方エンジンの空気取り入れ口を兼ねているつもり?その主翼の薄さでどうやって車輪格納する?プロペラが地面を擦らないように離着陸するにはどんだけ長い尾輪が居るねん。などなど、つっこみ所満載なエンジン広告塔の為に設計されたんだろうな。DB-609エンジン自身が開発難航し結局は放棄、当然この機体も1943年にドイツ空軍によって開発中止命令を受ける。
  
Blohm und Voss BV P.210(ブローム&フォス BV P.210)
 
 ドイツ空軍のVolksjager要求(1944年9月:国民戦闘機開発要求)にブローム&フォス社が参加した機体設計。そのフォルムは短い胴体にBMW003Aジェットエンジン、上半角でコンポーネントされた翼を持つ独特の無尾翼戦闘機であった。
 国民戦闘機要求のコンテストでは、ハインケル社のHe162サラマンダーに負けて実現せず。
 カタログスペック:全長7.37m 全幅11.52m 武装20mm機関砲+30mm機関砲
 リチャードフォーク技師は無尾翼にこだわったのだが、後に垂直尾翼を追加したプロトタイプも実験している所から、やっぱり横方向安定が悪かったと想定出切る。しかも、いろいろ装備されるべき装置を考えてみると、燃料タンクはどこ?
 
    
FW P.I(フォッケウルフ プロジェクト1)
 
 マニアな私もHISのプレミア管制機として画像を見たのが初めてだったレアな機体。メッサーシュミットP1101とパッと見は似ているが全くの別物。その正体はフォッケウルフ社のペーパープラン機でありました。どちらかというと過渡期的プランであり、Fw J.P011-47へと最終的に至る設計であったらしい。レシプロフォルムの機首に無理やり設置したジェットエンジンはナチスドイツ末期の突貫的計画だった証拠で、空気取り入れ口もその大きさと形状からして満足に機能してないだろうと思われる。
 数ヵ月後にお披露目されたFw J P011-47プランでは、主翼を肩翼に変更し、その主翼にジェットエンジンを2機追加しているんだから、やっぱりエンジン冷却と重量過多は克服できそうになかったのね。。
 
Hs P.75(ヘンシェルP.75)
 
 ヘンシェル社設計の局地戦闘機。その洗練された設計は秀でたものがあり、見事な空力を備えていたであろうと誰もが感じるエンテ翼型式だ。
 その機体フォルムは現在の戦闘機で多く見られるブレンデッド・ウイング・ボディ(胴体高さを低くして主翼とのつながりを流線型で一体化させる技術)をこの時期から採用していてカッコイイ。
 水冷DB610エンジンをミッドシップに搭載し、推進式二重反転プロペラにて時速850km。機首に30mm機関砲4砲を備え、米英重爆撃機を迎え撃つ迎撃戦闘機と期待されたが、プロトタイプ完成前に終戦を迎えてしまった。
 この機体、エンジンをそのままの位置でジェット化させて米空軍のデカールが付いたイラストを描いたとしたら、「ノースロップ社あたりが輸出向けに生産した現代ジェット機かな?」と思っちゃうよね。
    
BV P.188.04(ブローム&フォス BV P.188-04)
 
 ブローム&フォス社のペーパープラン機。Wウィング持った四発ジェット爆撃機として開始されたP.188計画の4つ目にあたる。
 当初の01計画から、エンジンを双子ナセル式のターボジェットエンジン、胴体を延長、垂直尾翼を双翼、コクピットを与圧式に改良して、高高度性能を高める機体設計であった。このP.188計画機は、速度変化による翼の失速をWウィングで解決しようともくろんでいるが、ナチスドイツでは実現する時間はありませんでした。
 カタログデータ:全長17.55m 全幅27m 最大速度820km/h 最大爆弾搭載2000kg
 しかし、この翼の形状。深く探ってみれば、後退翼と前進翼のいいところ取りをしようとした設計だと分かる。当時から音速翼の研究をしてるなんて、恐るべしドイツの航空技術。
 
Focke Wulf VTOL Aircraft(フォッケウルフVTOLフォロジェクト)
 
 結構有名な垂直離着陸プロジェクト。ハウニブ伝説の元となった機体設計であると思われる。
 本機も試作機完成前に終戦を迎えたが、全翼形状のまん丸なボディ中央に配した2つの巨大なプロペラ機にて垂直離着陸を実現させ、中央の巨大な二つのプロペラは反対方向回転させてトルク問題点を解消させているすぐれた仕組みを持ち、戦後の米英ソでのVTOL研究のさきがけとなった機体。
 ボディ後部に位置する2箇所の排気使ったターボジェットによって前方の推進を得る仕組みであったため水平機動速度は速くはなかったと推測出来る。この推進用動力のターボジェットがしょぼそうで惜しいよね。
 
 
BV P.170(ブローム&フォス BV P.170)  壁紙(標準)
 
 奇想天外な設計の多いブローム&フォスの戦闘爆撃機モデル。ブローム&フォス社って実戦にある程度の機数が配備された機体においても左右非対称なコクピット配置が多かったりするんだが、この機体設計はコクピットは左右非対称なのは確かだが、その位置がめちゃ後ろに位置する。エンジンは胴体前方に1基と、直線翼の主翼両端にそれぞれ1基の合計3基の空冷。エンジン馬力によるスピードと武装搭載力を求めたのだろうが、全体フォルムから想像してこの機体の重心中央位置は胴体と主翼の接合点近く。したがってこのコクピットの位置なら、パイロットにかかる上下運動の圧力差はかなりなもので、耐Gスーツが実用されていないこの時代、ちょっとした急降下・急上昇するだけで失神します。
 当然、実用化される訳もありません。
 
He P.1078B(ハインケル He P.1078B)
 
 ナチスドイツの「緊急戦闘機計画」の要求に対し、ハインケル社が提出し計画化されたジェット戦闘機。この時、ハインケル社は本機を含めて3つの機種プランを提出したといわれている。本機のプランは具体的に計画化されて行き、新型ジェットエンジンとして開発が進めていたハインケル・ヒルトHeS011ジェットエンジンの搭載を予定していた。主翼が木製のカモメ翼でしっかりとした後退翼の形状。胴体は金属製でエンジンを中央配置、機首としてのノーズ部分を左右に分けて二つ、その中央に空気取り入れ口が設けられていた。コクピットは向かって右側のノーズに設置され、左側ノーズには降着装置と30mmMk108機銃2門、FuG240レーダーを搭載する。無尾翼式で方向舵は下方斜めに折れた主翼の翼端で行なう方式であった。
 本機は1445年2月にプロジェクト中止となり実機は試作機製造開始前に終わったが、奇抜なフォルムではあるにもかかわらず、エンジンさえよければ結構使えそうな感じである。
 
Ju635(ユーンカース Ju635)
 
 少数機がナチスドイツ敗戦までに実戦配備機としてギリギリ間に合ったドルニエ社のタンデム戦闘機Do335プファイル。性能も良いし期待されていたらしく、プファイルがまだ試作機テスト中に「2機を結合させて高速長距離偵察機にしたら良いかも」ってなった。で、試作機が完成一歩前まで進んだのが、このJu635。
 機種名で現れているとおり、プファイルの開発社のドルニエではなく、ユーンカースで開発設計が進められた。連結機に対する技術を持っていたユーンカース社に開発継承されたのだ。ユーンカース社では、単純に主翼を合体させたのでは無く、主翼を専用の物を完全に再設計。4つのレシプロエンジンで長距離偵察させる為に翼内インテグラルタンク装備し、翼下には投下式燃料タンク及び偵察カメラポッドも装備出来るものであった。
 最高速度は720km/h、航続距離は7450kmを予定していたが、風洞モデルテスト及びコックピットのモックアップが構築された段階でドイツ敗戦を迎えてしまった。